台湾の桃園空港に到着すると、異様な光景に遭遇した。観光客の名前を記した漢字のプラカードを掲げる人の群れに、色紙を持つ台湾人が待ち構えていた。お目当ては、阪神の掛布雅之2軍監督だ。10人ほど、ついてきてサインをねだる。急ぐ指揮官が「選手と食事の約束をしているから。申し訳ないね」と謝って、台湾高速鉄道(新幹線)の桃園駅に着くと再び同じ顔ぶれがやって来た。タクシーで追いかけてきたようだ。

 今度は、掛布2軍監督がペンを走らせながら驚く。「この色紙、どこで買ったの? ネット?」。台湾人の男性はたどたどしい日本語で「ニホンニイッタトキニカイマシタ」と言う。見れば、トラの球団エンブレムが入った色紙を持っている。何たる周到ぶり。日本のプロ野球も顔負けのファンの熱烈ぶりは、台湾では当たり前。シーズン中はチームの遠征先宿舎にもファンが押し寄せるほどだ。

 台湾の人に向けて、掛布2軍監督が色紙にしたためた「憧球」の2文字には、生きざまがにじみ出る。

 「野球に対する憧れが常にあるんだよね。憧れる気持ちを持つ生き方が大切だという子どもたちへのメッセージでもある。でも、憧れに対する怖さもあるし、優しい言葉じゃないんだ」

 349本塁打を放った現役時は、もう1人の自分を追いかけた。シーズン中、自宅に帰ればブラウン管に向き合い、自身の本塁打シーンを集めたビデオを見るのを日課にしていた。

 「それを見ていて1歩引いている自分がいた。自分がテレビのなかにいるのが不思議でね。でも、テレビに映る自分にも、憧れを持てるようにと思っていた。継続する力につながるし、怖さを知ることにもなる」

 若いころは色紙に「いつもあこがれ」と添えていたという。故障禍に見舞われて現役を引退すると、やがて「憧球」と書き続けた。

 「色紙に『阪神』と書けなくなって、阪神のチームの重さを感じた。自分の名前だけでは貧弱になる。いま、こうやってユニホームを着られているのも野球があるからなんだよな」

 季節外れの12月に台湾で野球を見る。韓国、欧州からも若人が集う。白球へのあこがれに、国境はない。

 ◆酒井俊作(さかい・しゅんさく)1979年(昭54)、鹿児島県生まれ。京都市で育ち、早大卒業後の03年入社。阪神担当や広島担当を経験。今年11月から遊軍。趣味は温泉めぐり。