新年早々、驚かされた。スマートフォンを見ていると阪神西岡剛がダッシュしていたのだ。写真共有アプリの「インスタグラム」で自身の公式アカウントを立ち上げ、練習を動画投稿。米ハワイで自主トレする日本ハム中田、ソフトバンク城所の前を駆け抜け「めっちゃ走れてるやん!!」と驚きの声が上がる。昨年7月20日の巨人戦(甲子園)で戦線離脱して、間もなく6カ月。力強く、スピードに乗って走っていた。

 戦列復帰まで1年近くを要し、選手生命を脅かす重傷だ。アキレス腱(けん)断裂-。背筋が凍る、無情な響きを聞いて、いつも思い出すのは、通算2119安打を放った広島OB前田智徳氏の現役時の言葉だ。「これならいっそ、もう1本も切れたほうがええんかな」。23歳だった95年5月に右アキレス腱を完全断裂。2カ月の入院とリハビリをへて復活したが、繊細な打撃のバランスは失ったままで、苦悩がにじむセリフだった。

 左も切れれば、同じ感覚になる-。この道を究めようとする男の壮絶な心に触れたのは、僕が広島担当だった頃だ。当時の取材ノートをめくると、伝え聞いた逸話を書きとめていた。

 <10年10月14日 大野練習場>アキレス腱を手術した後のオープン戦。対戦したダイエー王貞治監督のところに聞きに行った。「1本足は、どうやって打つのですか」。関係者のコメント。「どうすれば打てるのか、両足のバランスを考えていたんじゃないか」。

 20歳代の若者が気後れせず、世界の本塁打王に教えを請う。野球人生を狂わせ、深手を負った悪夢を断ち切ろうと、のたうち回りながらはい上がる姿があった。00年にはもう片方の左アキレス腱にメスを入れた。断裂する恐れがあったという。関係者は「腱鞘が硬くなって、アキレス腱の動きが悪くなっていた。スムーズに動くようにした」と回想。すさまじい覚悟があった。

 先日、宮崎で行われた名球会イベントで福留にアドバイスする前田氏が、紙面でリポートされた。孤高の現役時代と違って、柔らかい表情だったという。

 西岡は31歳で傷を負い、しかも打撃の軸足だった。負傷した年齢や箇所も異なり、2人を比べることなどできない。だが最後に1つだけデータを紹介したい。

 前田智徳 1594試合出場 5000打数1511安打 打率3割2厘 221本塁打 846打点

 アキレス腱を断裂した後からの通算記録だ。険しき道が待ち構える、後進の行く末を照らす足跡だろう。

 ◆酒井俊作(さかい・しゅんさく)1979年(昭54)、鹿児島県生まれの京都市育ち。早大大学院から03年に入社し、阪神担当で2度の優勝を見届ける。広島担当3年間をへて再び虎番へ。昨年11月から遊軍。今年でプロ野球取材15年目に入る。趣味は韓流ドラマ、温泉巡り。

 ◆ツイッターのアカウントは@shunsakai89