たったひと言に阪神北條史也の成長が表れていた。今季初実戦の紅白戦で、さりげない気遣いを見せたのは3回裏に入る直前だった。マウンドで準備する藤浪に歩み寄って声を掛ける。「けん制する?」。時間にしてわずか数秒。軽くうなずいて遊撃の定位置に入った。

 この日は1番で先発し、3回に初球を小気味よく中前に運んだ。守備もそつがない。だが、記者席で見ていて、プレーよりも冒頭の光景が妙に引っ掛かった。だから聞く。「走者が二塁に来たときのけん制の確認です」。サインプレーでもあるから多くを語らなかったが、こんなことを言う。

 「WBCのボールは滑りやすいでしょう。藤浪がイップスになってもあかんから。めちゃくちゃ、けん制がうまいわけじゃないし」

 侍ジャパンの一員の藤浪はWBCの公式球を使う。いたずらに二塁けん制のサインを出して悪送球でもすれば…。イップスとは恐怖心で、まともに投げられない状態だ。そうなれば、パフォーマンスに悪影響を及ぼす…。北條はここまで気を配っていた。しかも、コーチの指示ではなく、自発的にマウンドに行ったという。実質1軍2年目の「余裕」と書くと、少しニュアンスが違う。宜野座のグラウンドでの立ち居振る舞いに「ゆとり」が出てきた。

 昨季は違う。遊撃を守っていても、どこか遠慮があった。投手がピンチに陥ると野手はひと呼吸を置きにマウンドへ向かう。鳥谷も西岡も絶妙なタイミングで声を掛けに行っていた。北條は「(試合の流れで)これ、このままいったらヤバイというのは分かる。若い投手なら行きやすいけど、ベテランの方は、いつ行けばいいかが難しいです」と話す。投手にもリズムがあり、必ずしも野手に声を掛けてほしいわけではないからだ。昨季、不振を極めた鳥谷に代わって遊撃を守り続けたのは8月中旬以降。22歳らしい戸惑いだろう。

 その立場を理解するからこそ、金本監督や久慈内野守備走塁コーチは「捕手は回数が決まっているんだから、どんどん行け」と背中を押す。捕手が1試合でマウンドに行けるのは3回。悪い流れを断つためにも投手への声掛けは大切だ。鳥谷とのレギュラー争いは始まったばかりだが、こういうしぐさが頼もしく映る。(敬称略)

 ◆酒井俊作(さかい・しゅんさく)1979年(昭54)、鹿児島県生まれの京都市育ち。早大大学院から03年に入社し、阪神担当で2度の優勝を見届ける。広島担当3年間をへて再び虎番へ。昨年11月から遊軍。今年でプロ野球取材15年目に入る。趣味は韓流ドラマ、温泉巡り。

 ◆ツイッターのアカウントは @shunsakai89