新潟県高校野球で注目を浴びた新潟明訓・高津大嗣投手(18)が1日、同校を卒業した。3年春はエースナンバー「1」で優勝、同夏は準優勝に輝き、今春から首都大学リーグ2部の武蔵大に進んで野球を続ける。ヤクルト高津臣吾2軍監督(48)を父に持ち、シンカーを武器にする右横手投げは父譲り。直球の最速は112キロながら、緩急をつけた頭脳的な投球で4年後のプロ入りを目指す。

 甲子園出場を夢見た高津の高校3年間が終わった。授業を終えた1月中旬から自宅のある東京に戻り、2月28日に再び新潟入り。この日、新潟明訓の卒業式に出席し、野球部の仲間と別れを惜しんだ。

 同時に、新しい1歩を踏み出した。武蔵大の4年間で目指すのはプロ入り。「小さいころから目標にしてきた父は、大卒(亜大)でプロになった。父に追いつけるように、自分もプロにいきたい」。NPBで歴代2位の286セーブを挙げ、メジャーでも活躍した偉大な父の背中を追う助走は、すでに第1歩を踏み出している。大学の練習には2月1日から参加しており、今日2日から再合流する予定だ。

 ヤクルト2軍監督の父臣吾氏は新潟の地と縁が深い。11年にBC新潟でプレーし、12年には選手兼任監督でチームを独立リーグ日本一に導いた。高津は「父とは無関係。いい環境、いい指導者がいるから新潟明訓を選んだ」と、高校入学後から本格的に父と同じ投手の道を歩んだ。青山学院中等部では二塁手で、送球はサイドスロー。横手投げに違和感はなかった。公式戦デビューは2年春の2回戦(村上)で、途中登板で1回を2安打無失点だった。

 武器は、父と同じシンカー。本などを参考にして習得したが、フォームや投球術は父の映像を手本にした。「1人の野球選手として見てみると、投球を工夫している。クレバーさは見習いたい」。直球の最速は112キロだけに制球、緩急、変化球を最大限に駆使。打者と駆け引きしながら、タイミングをずらすのが持ち味だ。「ボールが遅いのも長所と考えたい」とポジティブ思考だった。

 昨夏は決勝で中越に2-10で敗れ、甲子園の夢は断たれた。高津は2-7の7回1死三塁で救援し、2/3回を投げて無安打1四球の無失点。最後の試合は9球を投げて終わった。「甲子園に行くという希望を持って入学したから悔しかった」。その悔しさを糧に「打者との勝負を楽しむのが投手の醍醐味(だいごみ)。面白い投手がいるな、と思われるような選手になりたい」と、理想の投手像を思い描いた。【涌井幹雄】

 ◆高津大嗣(たかつ・だいし)1998年(平10)11月24日生まれ、東京都出身。青山学院中等部卒。野球は小2から始め、新潟明訓での初ベンチ入りは2年春。3年春は背番号1を背負い、決勝(北越を11-10で下してV)は2番手で登板し2回を3安打4四死球で5失点(自責3)。持ち球は直球、シンカー、スライダー、カットボール。右投げ右打ち。177センチ、70キロ。血液型B。