たとえ7点の大差がついていても、まごうことなき「夢の対決」だった。2日ソフトバンク戦の5回裏1死一塁。西武3番手の福倉健太郎投手(25)は、川崎を打席に迎え、ある感慨にふけっていた。

 「同じプロ、同じ土俵で対戦できるとは。ずっと夢に見ていましたけど、本当にこの日が来るなんて」。

 初球はスライダー。やや力が入ったのか、引っ掛かって川崎の足元にワンバウンドした。2ボール、1ストライクからの4球目、今度はスライダーを低めに決め、二ゴロに打ち取った。

 ふーっと深く息をつく。特別な思いには、もちろん背景がある。福倉は「11年ぶりですかね。実は子どものころ、川崎さんと対戦したことがあるんです」と明かす。

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 小学3年生の時、鹿児島・枕崎市から姶良町に引っ越しをした。転入先は重富小。卒業生に川崎がいた。

 プロ野球のオフシーズンには、地元に戻った川崎が野球教室を開催していた。もちろん、福倉もそれに毎年参加した。やはり川崎が卒業した重富中に進み、2年生になったころには、川崎と対戦する機会まで持たせてもらった。

 いつか同じプロの舞台に立って、川崎さんと対戦したい。その一心で、福倉は鹿屋中央高、第一工大と野球を続けた。

 13年。西武からドラフト7位で指名され、プロ入りを果たした。しかし、そこがゴールではない。昨オフには、秋季練習で合計2400球もの投げ込みも行い、ボールを磨いた。

 土肥投手コーチは「正直、去年までは2軍の投手のボールだなと思ってみていた。でも今は明らかに以前とは違う。スピードもキレも増している」と成長を認める。

 今季、開幕メンバー入りを果たすと、直後に川崎の日本球界復帰が決まった。川崎が1軍に合流してから初のソフトバンク戦は、先発キャンデラリオが3回7失点で降板。2番手野田も危険球で退場し、福倉が緊急登板を命じられた。

 11年間の努力を、最後はいくつかの巡り合わせが手伝った。そうやって、福倉にとっての夢の対決が実現した。

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 緊急のマウンドで、福倉は最初の打者松田に、初球を左翼スタンドに運ばれた。その後は力投したが、球数が70球をこえた4イニング目の8回、力尽きて5失点した。

 それでも85球を投げ、他の投手の助力を仰がずに試合を終わらせた。土肥投手コーチは「本当はもっといいところで代えてあげたかった。6連戦の最初だったので、投げきってくれて本当にありがたい」と感謝した。

 それでも福倉は「最後は疲れてしまったし、反省です」と言い切った。

 「川崎さんと対戦できて、本当によかった。試合前にあいさつにうかがったら『そうか、あの教室からプロになってくれたんだ』とすごく喜んでくださりましたし。でも、次は対戦するだけじゃなく、プロとして認めてもらわないと。あいつと対戦するのはイヤだなと、川崎さんに思ってもらえるような投手になれるよう、もっと頑張ります」

 夢の対決は、終わってみればゴールではなかった。さらなる成長を目指し、プロ4年目のシーズンが続く。【塩畑大輔】