6-6の同点で迎えた、9回裏1死、走者なしの場面。西武栗山巧外野手(33)は、この日5回目の打席に立った。
1ボールからの2球目。ソフトバンク岩崎の150キロ直球が真ん中に来た。やや力が入った。オーバースイングになった。仕留め損ねてファウルになった。
最近2試合、出場機会から遠ざかっていた。この日は先発したが、安打は出ていなかった。そして、この打席も好球を仕留められなかった。しかし本人に、動揺した様子はなかった。
淡々と、ルーティーンを取り直す。3球目、149キロ直球。今度はきれいにとらえた。
右中間方向に舞い上がった打球は、大声援にも後押しされるように伸びて、バックスクリーン右にスタンドインした。
プロ16年目にして、初のサヨナラ本塁打。柵越えを確認して初めて、歓声が耳に入ってきたという。「ゾーン」から戻ってきた栗山は、久々に笑顔をはじけさせて、本塁で待つ同僚の輪に飛び込んでいった。
朝な夕なに鏡の前でバットを振り続け、理想のスイング軌道を追い続ける。だが打席に立ったら、スイングのことは考えない。「やるか、やられるかの勝負ですから。駆け引きに集中しないと戦えない」と言う。
この打席は、まさにそうだった。直前のミスショットからも、まだ本調子ではないことはみてとれる。しかし死地に立てば、太刀筋の乱れなどに構ってはいられない。ただただ、相手を倒すことに没頭する。
ゾーンという横文字は、似つかわしくないかもしれない。「侍の境地」で、栗山が勝負に決着をつけた。
◇ ◇
お立ち台。栗山は「追い込まれていたので、勝負をかけました」と語った。
もちろん、1-1だったボールカウントの話ではない。ここ1カ月、栗山は大幅に出場機会を減らしていた。
今季、辻監督が就任した。自らも主将の座をおりた。「もう1度、1からの競争をする」。そう言って、キャンプ、オープン戦から猛アピールを続けた。
開幕後もハイペースで安打を重ねた。4月8日のソフトバンク戦第1打席、今季初本塁打を放った時点で、打率は3割6分4厘に達していた。
しかしその直後の打席で、遊ゴロを打った際に、駆け込んだ一塁上で内川と交錯した。走路上に伸びてきた右足を避けるため、右に身体を投げ出し、そのまま転倒した。右ふくらはぎに強い張りが生じた。
競争はまだまだ続く。今は休めない。栗山は強行出場を続けた。しかし、やがてそれも限界に達した。同14日ロッテ戦で途中交代。そのまま戦線離脱した。
5月に入って先発に復帰したが、一度バットを振れなくなった影響は大きかった。打撃の調子が戻らない。プロ生活を平均しても7打席に1度ペースの三振を、復帰後31打席で12回も喫した。
試合後、夜の室内練習場にこもり、マシンを相手に1時間以上も打ち込むこともあった。ある時は構えの際、グリップの位置を頭の高さよりも高くした。
「分かりました? ガッツさん(現中日2軍監督小笠原道大)のマネです。自分とまったく違う打ち方をしたら、何か発見があるかもと思ったのですが…」。
首を振りながら、元の構えに戻す。そこまでに悩み、苦しみ、なりふり構わずもがいていた。
右ふくらはぎのケガはほぼ完治した。しかし打撃を立て直そうと、懸命にバットを振り続けるあまり、今度は疲労がたまってきた。
辻監督は「動きが重い。バットの振りも明らかに鈍くなった」と19、20日のソフトバンク戦の先発から栗山を外した。
19日の試合では、チームは1点を追う9回裏、2死二塁と一打同点の好機をつくった。
誰もが「代打栗山」のコールを予感した。しかし、ベンチ裏の素振りルームから、代打の打席に向かっていったのは、控え捕手の岡田だった。
勝負の打席に立てる状態ではない。そのことは、栗山本人が誰よりもよく分かっていた。
◇ ◇
翌20日、午前8時30分。前夜の試合終了から、12時間もたっていないホームのグラウンドに、栗山は立っていた。
皆が苦悩を知っている。大事な場面で代打にも出られず、忸怩(じくじ)たる思いを抱えているのもよく分かる。
特に早出で練習をする若手などにとっては、苦しむ先輩にかける言葉を見つけるのは難しいことだ。
それを察してか、栗山が大声を張り上げた。
「みんな、おはよう! さあ、野球するで! 今日もみなさんお待ちかねの試合や!」
若手が「ハイ!」と声を張って応じる。栗山は「うん、うん、それでええぞ」と冗談めかしてうなずいていたが、ふと気付くとその場からいなくなっていた。
その姿は、誰もいないスタンドにあった。
客席中段を横切る周回通路を、黙々と走っている。若手に余計な気を使わせまいと、距離をとっているようにもみえた。身につまされる思いがした。
しかし、その直後の打撃練習から、栗山のバットには徐々に快音がよみがえってきた。辻監督はそれを見逃さなかった。21日の試合前、コーチ陣に「今日は栗山でいく」と告げた。
起用するからには、腫れ物に触るような接し方はしない。3回無死一、二塁の第2打席では、バントも命じた。
相手内野手がチャージをかけ、三塁もフォースプレーの簡単ではない状況で、栗山は事もなげにバントを決めた。辻監督は「そりゃ決めるよ。あいつは誰よりも丁寧にバントを練習してる。オレはそれを見てきたから」とうなずいた。
一方で、誰もが待つヒット性の当たりは、なかなか出なかった。試合は西武の1点リードで9回表へ。ここでソフトバンク打線を抑えれば、試合は終わる。
そして栗山の復帰戦も、無安打で終わる。しかし松田の一発で、試合は振り出しに戻った。
なかったはずの9回裏。運命的に訪れた打席。背番号1はついに、会心の一打を放った。
◇ ◇
好調のさなかの負傷は、不運そのものだ。復帰後、調子を戻そうと努力すればするほど、皮肉にもバットは振れなくなった。
見ている方がつらくなるほどの苦境だった。それでも栗山は、からりと笑って振り返る。
「思うようにいかないのがゲームですから。だから面白いんです。きっと」
サヨナラ本塁打は反撃の号砲。ただ、バットマンが目指すのは「元に戻す」ことではない。「もっとうまくなれる。そう思ってますから」。栗山は今日も、黙々とバットを振る。【塩畑大輔】