6-6の同点で迎えた、9回裏1死、走者なしの場面。西武栗山巧外野手(33)は、この日5回目の打席に立った。

 1ボールからの2球目。ソフトバンク岩崎の150キロ直球が真ん中に来た。やや力が入った。オーバースイングになった。仕留め損ねてファウルになった。

 最近2試合、出場機会から遠ざかっていた。この日は先発したが、安打は出ていなかった。そして、この打席も好球を仕留められなかった。しかし本人に、動揺した様子はなかった。

 淡々と、ルーティーンを取り直す。3球目、149キロ直球。今度はきれいにとらえた。

 右中間方向に舞い上がった打球は、大声援にも後押しされるように伸びて、バックスクリーン右にスタンドインした。

 プロ16年目にして、初のサヨナラ本塁打。柵越えを確認して初めて、歓声が耳に入ってきたという。「ゾーン」から戻ってきた栗山は、久々に笑顔をはじけさせて、本塁で待つ同僚の輪に飛び込んでいった。

 朝な夕なに鏡の前でバットを振り続け、理想のスイング軌道を追い続ける。だが打席に立ったら、スイングのことは考えない。「やるか、やられるかの勝負ですから。駆け引きに集中しないと戦えない」と言う。

 この打席は、まさにそうだった。直前のミスショットからも、まだ本調子ではないことはみてとれる。しかし死地に立てば、太刀筋の乱れなどに構ってはいられない。ただただ、相手を倒すことに没頭する。

 ゾーンという横文字は、似つかわしくないかもしれない。「侍の境地」で、栗山が勝負に決着をつけた。

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 お立ち台。栗山は「追い込まれていたので、勝負をかけました」と語った。

 もちろん、1-1だったボールカウントの話ではない。ここ1カ月、栗山は大幅に出場機会を減らしていた。

 今季、辻監督が就任した。自らも主将の座をおりた。「もう1度、1からの競争をする」。そう言って、キャンプ、オープン戦から猛アピールを続けた。

 開幕後もハイペースで安打を重ねた。4月8日のソフトバンク戦第1打席、今季初本塁打を放った時点で、打率は3割6分4厘に達していた。

 しかしその直後の打席で、遊ゴロを打った際に、駆け込んだ一塁上で内川と交錯した。走路上に伸びてきた右足を避けるため、右に身体を投げ出し、そのまま転倒した。右ふくらはぎに強い張りが生じた。

 競争はまだまだ続く。今は休めない。栗山は強行出場を続けた。しかし、やがてそれも限界に達した。同14日ロッテ戦で途中交代。そのまま戦線離脱した。

 5月に入って先発に復帰したが、一度バットを振れなくなった影響は大きかった。打撃の調子が戻らない。プロ生活を平均しても7打席に1度ペースの三振を、復帰後31打席で12回も喫した。

 試合後、夜の室内練習場にこもり、マシンを相手に1時間以上も打ち込むこともあった。ある時は構えの際、グリップの位置を頭の高さよりも高くした。

 「分かりました? ガッツさん(現中日2軍監督小笠原道大)のマネです。自分とまったく違う打ち方をしたら、何か発見があるかもと思ったのですが…」。

 首を振りながら、元の構えに戻す。そこまでに悩み、苦しみ、なりふり構わずもがいていた。

 右ふくらはぎのケガはほぼ完治した。しかし打撃を立て直そうと、懸命にバットを振り続けるあまり、今度は疲労がたまってきた。

 辻監督は「動きが重い。バットの振りも明らかに鈍くなった」と19、20日のソフトバンク戦の先発から栗山を外した。

 19日の試合では、チームは1点を追う9回裏、2死二塁と一打同点の好機をつくった。

 誰もが「代打栗山」のコールを予感した。しかし、ベンチ裏の素振りルームから、代打の打席に向かっていったのは、控え捕手の岡田だった。

 勝負の打席に立てる状態ではない。そのことは、栗山本人が誰よりもよく分かっていた。

 ◇   ◇

 翌20日、午前8時30分。前夜の試合終了から、12時間もたっていないホームのグラウンドに、栗山は立っていた。

 皆が苦悩を知っている。大事な場面で代打にも出られず、忸怩(じくじ)たる思いを抱えているのもよく分かる。

 特に早出で練習をする若手などにとっては、苦しむ先輩にかける言葉を見つけるのは難しいことだ。

 それを察してか、栗山が大声を張り上げた。

 「みんな、おはよう! さあ、野球するで! 今日もみなさんお待ちかねの試合や!」

 若手が「ハイ!」と声を張って応じる。栗山は「うん、うん、それでええぞ」と冗談めかしてうなずいていたが、ふと気付くとその場からいなくなっていた。

 その姿は、誰もいないスタンドにあった。

 客席中段を横切る周回通路を、黙々と走っている。若手に余計な気を使わせまいと、距離をとっているようにもみえた。身につまされる思いがした。

 しかし、その直後の打撃練習から、栗山のバットには徐々に快音がよみがえってきた。辻監督はそれを見逃さなかった。21日の試合前、コーチ陣に「今日は栗山でいく」と告げた。

 起用するからには、腫れ物に触るような接し方はしない。3回無死一、二塁の第2打席では、バントも命じた。

 相手内野手がチャージをかけ、三塁もフォースプレーの簡単ではない状況で、栗山は事もなげにバントを決めた。辻監督は「そりゃ決めるよ。あいつは誰よりも丁寧にバントを練習してる。オレはそれを見てきたから」とうなずいた。

 一方で、誰もが待つヒット性の当たりは、なかなか出なかった。試合は西武の1点リードで9回表へ。ここでソフトバンク打線を抑えれば、試合は終わる。

 そして栗山の復帰戦も、無安打で終わる。しかし松田の一発で、試合は振り出しに戻った。

 なかったはずの9回裏。運命的に訪れた打席。背番号1はついに、会心の一打を放った。

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 好調のさなかの負傷は、不運そのものだ。復帰後、調子を戻そうと努力すればするほど、皮肉にもバットは振れなくなった。

 見ている方がつらくなるほどの苦境だった。それでも栗山は、からりと笑って振り返る。

 「思うようにいかないのがゲームですから。だから面白いんです。きっと」

 サヨナラ本塁打は反撃の号砲。ただ、バットマンが目指すのは「元に戻す」ことではない。「もっとうまくなれる。そう思ってますから」。栗山は今日も、黙々とバットを振る。【塩畑大輔】