JR北海道クラブが、昨年12月のクラブチーム化後初の全国切符を手にした。TRANSYSに7回コールド12-0で快勝し、2次予選3連勝で3年連続14度目の本大会(7月14日~、東京ドーム)出場を決めた。打っては1回裏に4番小林勇希二塁手(26)5番大東憲司(28)6番増川航太(23)が3者連続本塁打、投げては3投手が7回を無失点リレーと危なげなかった。

 1回裏1死一、二塁、JR北海道クラブ4番小林が初球の内角直球を全力でたたくと、打球は弾丸ライナーで右翼スタンドに飛び込んだ。続く大東は、フルカウントからの7球目直球を右翼席へ。とどめは6番増川。真ん中に入ってきたスライダーをはじき返すと、白球はバックスクリーン左横で弾んだ。道連盟によると道予選初の3連発。小林は「バース、掛布、岡田以来じゃないですかね」とおどけた。

 昨年12月のクラブチーム移行から、全員が社業優先となった。小林は恵庭・島松駅の窓口で切符販売を手がける。「まずモニター、次に切符を見て、最後はお客さまと2人で(行き先などの)内容を確認する。トリプルチェックで集中力が上がった」と胸を張る。北広島駅の増川は「会社の方とふれあう機会が増え、応援を受けることで、より頑張ろうと思うようになった」と精神面への効果を口にした。

 予算削減の影響でシーズン前恒例の四国遠征がなくなり、仙台遠征には15時間かけてフェリーで出かけた。主将の嶋田源太郎遊撃手(27)は酔い止めを飲んで乗船したが、缶ビール片手に仲間と談笑しているうちに酔ってしまった。「船酔いか、お酒で酔ったのか分からないけど、結束を高めるには最高の時間でした」という。

 1カ月後にはクラブ化後初の本大会が待つ。「モチベーションは大企業に勝つ。これしかない」と嶋田。逆境をバネに代表切符をつかんだJR北海道ナインが、全国でもその強さを発揮する。【中島洋尚】

 ◆JR北海道クラブ 1909年(明42)に鉄道団チームとして国鉄で最も早く創部され、22年札幌鉄道局に改称。国鉄民営化に伴って87年にJR北海道となり、16年11月30日に休部、同年12月1日にJR北海道クラブが発足した。昨年まで都市対抗に13度(最高成績3位=07年)日本選手権に8度(同8強=10年)出場し、プロ選手も多数輩出した。