楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。6日、楽天が発表した。

 野球界を始め、各界から寄せられた死を悼むコメント一覧は以下の通り(並びは順不同)

星野仙一さん「追憶シリーズ」/連載

1986年中日監督に就任/星野仙一さん写真特集

「強い巨人じゃなきゃ、つまらない」/星野さん語録


中日対巨人 巨人の王貞治を三振にうちとった星野仙一(中日)は「どうだ」と気合の表情(1978年4月5日)
中日対巨人 巨人の王貞治を三振にうちとった星野仙一(中日)は「どうだ」と気合の表情(1978年4月5日)

星野のDNA/連載

「厳しさの中に愛情」仁村徹氏学んだ星野哲学

ウソかマコトか武勇伝、星野さん伝説の逸話

銀次の結婚式で「分厚い」ご祝儀袋の中身は…

星野さんが叱れる宮本氏に見た指導者の資質

星野さん「恩返し」沖縄に築き上げた野球遺産

星野さん助っ人に「配慮するが遠慮はしない」

星野さん「野球を身近なものに変えようや」


野球界

長嶋茂雄氏「仙ちゃん来い、と」

西本聖氏「思わず鳥肌が立った」

マー君「胴上げ大切な思い出」

田淵幸一氏「一番の親友だった」

巨人高橋監督「強くないとダメ、と」

広島新井「厳しい中にも愛情あった」

楽天梨田監督「想像もしてなかった」

三木谷氏「感謝の思いでいっぱい」

山本浩二氏「バカヤローだよ…つらい」

日本ハム岡「高校大学の偉大な先輩」

日本ハム栗山監督「恩返しをしろと」

母校の明大が黙とう、始動も「重いです」

明大先輩の高田繁氏「切磋琢磨した」

王会長「勝負してやりがいある投手」

ヤクルト宮本慎也コーチ「ショック」

山本浩二氏「元気なく心配していた」

阪神片岡篤史ヘッド「まさに闘将」

中村順司氏「選手を大事に育てて」

原辰徳氏が涙「メリハリの強さを尊敬」

森監督「中日を頼むぞ、と」

中日岩瀬「プロの厳しさ教わった」

中日荒木「節目節目で大変お世話に」

中日白井オーナー「手腕に称賛」

侍稲葉監督「人情味あふれた監督」

楽天岡島「今の自分は監督のおかげ」

楽天立花球団社長「苦しい姿見せず」

斉藤コミッショナー「情熱を遺志に」

山本昌氏「監督いなければ今の私ない」

金本監督を「鉄人」にさせた言葉

巨人井端コーチ「優しさ感じさせる方」

阪神揚塩球団社長「優しいお心の方」

森祗晶氏「気配りの人間だった」

阪神矢野2軍監督「一番怖く優しく」

同郷の明大・逢沢「1番のスター」

福良監督「ただただ残念という思い」

緒方監督「いろいろなことを教わりました」

辻監督「残念でなりません」

愛甲猛氏ら衝撃「早すぎるだろ」

山田久志氏、星野さんの熱意に折れたコーチ受諾秘話

高田繁氏悼む、死球に心配の電話…肝っ玉男の気遣い

池山隆寛氏「闘将の気合受け継ぐ」

長嶋氏「打倒巨人投球に心燃やす」/巨人関係者談話

栗山監督に叱咤「何しとるんじゃ」/球界関係者談話

野村克也氏「不思議な巡り合わせ」/楽天関係者談話

矢野2軍監督、厳しく優しい監督/阪神関係者談話

川上憲伸氏「長嶋さんのような」/明大関係者談話

上原浩治、忘れない「お前を選ぶ」/五輪関係者談話

山本昌氏「意思や教え語り継いで」/中日関係者談話

真弓明信氏、真っ向勝負の対戦思い出

吉田義男氏、金庫の扉こじ開けた

吉田義男氏、金庫の扉こじ開けた

スポーツ界

手倉森氏「魂は被災地にずっと残る」

松山英樹「偉大な人、すごく寂しい」

尾崎将司「昭和侍大将いなくなった」

玉ノ井親方、料理を振る舞ってくれた

芸能界

月亭八方、変身した阪神の「創始者」

サンド伊達みきお「かっこいい方」

小田和正「本当に残念」同い年親交

渡辺謙「あまりに突然でドラマチック」

コロッケ「男として憧れる部分がある」

山田裕貴「何か熱いものをもらった」

亀梨和也「笑顔が印象的」肩落とす

板東英二「見送ることになるとは」

和田アキ子「いつも紳士カッコよく」

ますおか増田「阪神変えてくれた人」

杉浦太陽「いるだけでオーラがある」

村尾キャスター「北極星を失った」

たけし、明大・島岡監督の影響大きい

北島三郎ら「心が通じ尊敬できる友」

担当記者悼む

牛島に白紙小切手…星野監督頭下げ落合トレード獲得

星野監督が導いたホテルからの脱出/宮下記者が悼む

情報通なのに「知らんかった」/古川記者が悼む

2人で泣いた初孫失った秘話とは/高原記者が悼む

 ◆星野仙一(ほしの・せんいち)1947年(昭22)1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日入団。中日一筋でプレーし「燃える男」と呼ばれた。82年引退まで通算500試合に登板し146勝121敗34セーブ、防御率3・60。「巨人キラー」として巨人から35勝を挙げた。74年最多セーブ、沢村賞。87年に中日監督に就任。中日で88、99年、阪神で03年に優勝。史上初めてセ2球団を優勝へ導いた。04年に阪神シニアディレクター就任。08年北京五輪で日本代表監督(4位)。11~14年は楽天監督。13年に球団初の日本一。監督通算1181勝は歴代10位。03、13年正力賞。現楽天球団副会長を務めていた。17年野球殿堂入り。現役時代は180センチ、80キロ、右投げ右打ち。