日本高野連と全日本大学野球連盟は11日、プロ志望届の提出を締め切った。高校生は10日に記者会見を開いた金足農(秋田)吉田輝星投手(3年)ら123人。大学生は東洋大・梅津晃大投手(4年=仙台育英)ら110人で、11日の時点で計233人が発表された。吉田も梅津もこの1年間で、大幅に評価を上げた。彗星(すいせい)のように現れたドラフト1位候補たちに注目が集まる。

今春、吉田は対戦した敵将から次々と絶賛された。元巨人の専大北上・中尾監督からは「桑田2世だ」とたたえられ、帝京・前田監督には「甲子園でも評判になるような投手」と期待された。それは、甲子園での大ブレークへのプロローグだった。

昨秋までの吉田は全国に数多くいる速球派右腕の1人に過ぎなかった。昨夏は最速144キロをマークしたが、県準優勝止まり。それがわずか1年で、敵将たちの度肝を抜き、ドラフト1位候補まで駆け上がった背景には、心技体における改革があった。

<心>時として、マウンドでいら立ちを顔に出すのが吉田の欠点だった。昨秋の県準々決勝は味方の失策から、終盤に5失点して逆転負けした。だが、今春からはチームリーダーの自覚が芽生え、精神面で成長。今夏は失策が出ても「そこに打たせる自分が悪い」と言い切れるまでになった。

<技>昨年10月から八戸学院大(青森)正村公弘監督(55)に技術指導を受けた。投球時に体の軸が一塁側に傾いていたのを真っすぐに矯正。フォームが固まると「際どい内角にストライクをズバッと放れるようになった」(正村監督)。浮き上がるような火の玉ストレートを手に入れ、最速は152キロまで到達した。

<体>昨夏は173センチ、78キロの体格が、この夏は176センチ、81キロにまで成長した。今年の冬には地獄とも称された校内合宿で追い込み、下半身を安定させた。

最後の仕上げは甲子園だった。横浜との3回戦は逆転した9回に150キロを出した。「ゾーンに入っていた。甲子園は持っている力以上のものを出してくれる。もう1度やれって言われても無理」。声援から得られる力を知り、快進撃とともに全国的な人気も手にした。プロ志望届の提出から一夜明け、各球団との面談も始まった。12球団どこにでも行く気持ちで運命のドラフトを待つ。【高橋洋平】

◆吉田輝星(よしだ・こうせい)2001年(平13)1月12日、秋田県生まれ。天王小3年で野球を始め、天王中では軟式野球部に所属。今夏は秋田大会から甲子園準決勝まで10試合連続完投勝ち。決勝では大阪桐蔭に敗れた。大会通算62奪三振は歴代6位。176センチ、81キロ。右投げ右打ち。