日刊スポーツは記者がオリジナルの視点で取材、構成する「リポート」をお届けします。第2回は阪神担当の真柴健記者が望月惇志投手(21)のルーツをたどりました。3年目の昨季はリリーフで37試合に登板。矢野監督は今季の開幕投手候補に挙げるほど飛躍を期待しています。高校時代のエピソードを横浜創学館・森田誠一監督(54)に聞きました。

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望月は矢野阪神の中で、大ブレークが期待される1人だ。ルーキーイヤーに、甲子園のデビュー戦でいきなり153キロを計測。昨年はリリーフで実力の片りんをのぞかせ、自己最速は158キロまで伸びた。武器である剛速球のルーツは高校時代にあった。恩師は明かす。

森田監督 きっちりと筋持久力と筋瞬発力のトレーニングを分けていましたね。持久的なトレーニングは2時間ほどの走り込み。手を抜けないように、何分以内、何秒以内と時間を切って決めていた。距離ではなくて時間でね。各場所にコーチが立っていたので、気は抜けなかったと思います(笑い)。コースがあるので10周で何分だとか目標設定を絶対にしていた。

素材は抜群だった。横浜創学館に入学した時、すでに身長が180センチほどあったという。

森田監督 とにかく背が高くて、すらっとしてた。マッチ棒みたいな感じ。中学時代は成長痛もあって、思うように投げられなかったそうで。(入学時は)「おおっ」と、うなるような投手ではなかった。もしかしたら化けるかもと。

コーチの目が厳しいランニングメニューに、徹底的に体幹トレーニングをこなした。

森田監督 練習は手を抜かない。もう少し、遊び心があっても良いんじゃないかと思うほど。「食トレ」もやっていましたね。体を作るためのサプリメントと食事を併合して、強い体を作りました。

マッチ棒のように細かった体が、グングンと力をつけた。

森田監督 入学時は120キロ出たかどうか。(2年秋の)新チームになって、137キロ。冬を越えて、3月の終わりに148キロを出したんです。3月の練習試合解禁の日にですよ。「速いな!」って。真面目に練習したから、能力が顕著に伸びた。冬場の体作り、徹底的な走り込み。元々のポテンシャルに筋力が一気にマッチしましたね。

プロ入り後は順風満帆とは言えなかった。入団1年目の16年10月1日に甲子園で初登板。福原投手コーチの引退試合で投じた153キロ直球に明るい未来が、確かに見えた。しかし疲労蓄積による右肘痛や腰痛に苦しんだ。17年には腰痛ヘルニアの手術に踏み切る。入院中、病室のベッドではマウンドで躍動する姿をイメージ。再び、輝く瞬間を待ち望んでいた。

森田監督 高校時代に体のどこかが『痛い』と言ったことは1度もなかった。体は頑丈で故障もなかった。だから意外でしたね…。

プロに入るまで経験したことのない、リハビリ生活は毎日が苦痛だった。それでもまじめな性格で、乗り越える。腰のヘルニア手術を受けた後は鳴尾浜のウェイトルームにこもった。自らに足りない部分はトレーニングで補う。自己理解ができるからこそ、ケガを乗り越えてマウンドで躍動できた。

◆望月惇志(もちづき・あつし)1997年(平9)8月2日生まれ、神奈川県横浜市出身。5歳で野球を始め、芹が谷中学時代は横浜南ボーイズに所属。横浜創学館では3年時に最速148キロを計測し、夏の神奈川大会8強。甲子園出場なし。15年ドラフト4位で阪神入団。1年目の16年10月に福原忍の引退試合となった巨人戦(甲子園)で1回0封デビュー。17年は、右肘痛や腰痛など故障に泣き、12月に腰部ヘルニアを手術。リハビリから再起して昨季は37試合に登板した。190センチ、92キロ。右投げ右打ち。