冬の冷え込みが厳しい2日、東京6大学野球リーグ・明大の19年度新入部員が、同大野球部合宿所「島岡寮」の門をたたいた。

桐光学園(神奈川)で主将を務めた山田陸人内野手(3年)も、その1人。「基本的なことをしっかり、人一倍練習したい」。緊張からか少し汗をかきながら、気持ちを言葉にした。

山田には熱い味方がついている。テニス解説者の松岡修造氏(51)だ。山田の父・靖彦さん(52)が福岡・柳川高校時代に、テニス部で一緒にプレー。この日は息子の荷物運びを手伝った。「あいつは途中でウィンブルドンに行っちゃいましたけどね」と言うものの、ダブルスを組んだこともあるという。互いの結婚式にも出席した間柄。「修造ですか? 昔からあのまんまの熱さですよ。考え方は異次元でしたね」と笑う。

父の熱い仲間に、小学校3年生の陸人少年は手作りチョコレートを贈ったことがある。「いや、あれは、弟と一緒に作ったんです」と照れ笑いする思い出だ。父には言わずに贈った。熱い手紙が戻ってきた。「感謝」「本気になればすべてが変わる!」「陸人くん、がんばれ!」。そんなメッセージがびっしり書かれていたという。

靖彦さんは「あのころ、陸人はちょっと野球でスランプだったんです。修造がくれた目に見える言葉は、後押ししてくれたんじゃないでしょうか」と懐かしそうに振り返った。

テニスではなく野球を選んだ陸人少年は、やがて強豪校で主将を任されるまでの球児に育った。昨夏の北神奈川大会は決勝で敗退。甲子園には届かなかった。40度を優に超える横浜スタジアムの熱された人工芝に顔をこすりつけ、泣いていた。報道陣に囲まれ、ようやく「野呂監督を甲子園に連れて行けなくて…申し訳ないです」とだけ言葉を絞り出した。試合終了から1時間半後、スタジアムを去る時もまだ泣いていた。

靖彦さんによると、夜も朝も泣き続け、翌日昼にようやく落ち着き始めたという。「衣食住野球、みたいな子ですからね。思いは本当に強かったんでしょう」。山田も「自分では、甲子園がなくなって、もう“無”という感じで。人生で一番泣いたと思います」と振り返る。誰にも負けない、「熱い」夏だった。

チョコレートは贈ったけれど、いまだ面識はない。「とても熱くて、偉大で、すごい人。きっと東京五輪でも応援とかすごいんだと思います」と山田は笑う。1年後、新国立競技場で何度も声を張り上げるであろう「修造さん」に負けないように、神宮の杜を熱くする。【金子真仁】