元プロ野球選手の清原和博氏(51)の母弘子さんが今月5日未明、心不全のため、大阪府内の病院で亡くなっていたことが16日までに分かった。78歳だった。父洋文さん(81)がみとった。清原氏は容体急変を知り、弘子さんのもとへ向かったが、長女、清原氏、次男の子供3人は間に合わなかったという。

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「こうやって毎年、尾頭付きのタイを頂いて、開幕を迎えるんです。ありがたいことです」。

東京・田無(現西東京市)の清原氏のマンション。母弘子さんは大きな瞳で笑いながら、朝食を作っていた。92年、開幕戦の朝。記者を自宅に招き入れてくれた。清原和博氏が西武時代に始まった弘子さんとの交流。「和博はお父さん(洋文さん)に似て口下手やから。偉そうに話して敵も多い子やけど、わかってあげてね」。そう言われて、和博さんが食べ残したタイの片面を、私がいただいた。

息子への愛にあふれていた。「和博の楽しみは、ナイターの後、家でイチゴのショートケーキを食べることなんよ」。私に取材のヒントをくれた。田無駅前の洋菓子店で買い、何度も自宅に届けた。ドラフトで巨人が桑田氏を指名した夜、清原氏が王監督の写真を床に置いて、涙しながら腕立て伏せをした逸話。「あんたの片思いやんか。フラれたんやから、あきらめ」。そう言った弘子さんだが、96年オフ、FAで巨人か阪神かで悩んでいた清原さんの決断に「やっぱり初恋の人を忘れられへんのやね」。巨人入りに笑っていた。

525本塁打のスラッガーを育てた弘子さんが、口にしていたことがある。巨人を退団し、オリックスで引退。「40歳になっても大人にならへんわ。でも和博のことをいろいろ言う人がいるけど、私は何があっても息子を守ります。命をかけて」。晩年は認知症を患い、清原さんが罪を犯したことを知らずに逝った。「和博、負けたらアカンで」。そんな声が、天国から聞こえてくる。合掌。【元西武、巨人担当=田 誠】