阪神担当が独自の視点で取材する企画「虎番リポート」。今回はドラフト3位・木浪聖也内野手(24=ホンダ)のルーツを探りました。

亜大時代はチャンスをなかなか生かせなかった4年間。その亜大時代の恩師である生田勉監督(52)が素顔を紹介してくれました。【取材・構成=磯綾乃】

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木浪が高校3年の時、亜大・生田監督が青森山田のグラウンドを訪れた。いい選手がいると聞いていたからだ。それは木浪と中日京田だった。手足の長い京田にポテンシャルを感じる一方で、木浪に光るものを見た。

生田監督 安定性があったんですよ。守備でもバッティングでも、ムラがない。目線がぶれない。僕は、木浪はいいものを持っているなと思った。

木浪は亜大に進み、京田は日大に進学。京田が大学1年時から出場機会をつかむ一方で、木浪はなかなか期待に応えられなかった。

生田監督 おとなしいし、優しい。盗塁って塁を盗むって書くでしょ? 人の物は盗めない…っていうような性格(笑い)。なんせ、すぐ緊張するんですよ。サイン間違いにけん制アウトに、もうミスばっかり。せっかくチャンスをあげても、使えばエラーしたり、ミスしたりでした。

ここでバントを決めなければチームが負けるという時に、ボールを上げてしまう。絶対盗塁を、という場面でサインを出せば、けん制でアウトに…。

生田監督 彼になかったのは自信だけ。僕は1打数1安打を望むので、だからそのプレッシャーがあったと思う。1試合でじゃなくて、僕は聖也、ここで打て!って。ここで打たないとレギュラー取れないぞとか、プレッシャーをかけ続けるから、ガチガチになっていた。

それでも限られた出場機会で、今につながる守備センスを見せていたという。

生田監督 スローイングがすごく安定しているんですよ。だからショートもセカンドもサードもファーストも、うまいですよ。外野もできる。どこでもやりました。器用なんです。

期待するからこそ厳しい言葉をかけ続けた。生田監督は、木浪にはプロに行けるポテンシャルがあると確信していた。その期待は現実のものになった。ホンダでの2年間を経て、昨年ドラフト3位で阪神に入団。新人ながらオープン戦最多の22安打を放ち、3月29日の開幕戦に「1番遊撃」でスタメン出場。大学時代に大きな結果は残せなかった男は今、大きな花を咲かせようとしている。そして、その亜大時代には、こんな話もある。

生田監督 やっと4年の秋にレギュラーを取って最後のシーズンという時に、スパイクで踏まれたのか、ヘッドスライディングして左手を8針縫ったんです。そこからメンバーを外れて…。

当時、開幕カードの2試合で5安打と活躍。リーグ戦中盤、10月11日の東洋大との1回戦で不運にもケガを負った。それでも木浪は下を向かなかった。

生田監督 (ケガしたのが)左手だから投げるほうはできるから、バッティングピッチャーでずっと放ってくれたり。最終戦はボールボーイを一生懸命やってくれた。本当にいい子ですよ、お父さんお母さんの愛情がすごく伝わりますよ。

今、木浪は3試合無安打。オープン戦との違いを感じているかもしれない。だが、きっと…。その優しく、熱いハートに自信が加わったとき、満開を迎えるはずだ。

◆生田勉(いくた・つとむ)1966年(昭41)8月16日、大分県生まれ。柳ケ浦(大分)から亜大に進学し、卒業後はNTT東京(現NTT東日本)でプレー。ポジションは捕手。92年から亜大コーチを務め、04年に監督就任。18年に大学日本代表監督に就任し、昨夏のハーレムベースボールウイーク(オランダ)で24年ぶりの優勝に導いた。教え子にソフトバンク松田宣、東浜、DeNA山崎、広島薮田、阪神板山ら。