広島が7日、胃がんからの1軍復帰を目指していた赤松真人外野手(37)が今季限りで現役引退することを発表した。

赤松は16年12月に胃がんを患っていることを公表し、17年1月に手術。1軍復帰に向けて戦い続けていた。チームに、ファンに愛された男が、ユニホームを脱ぐ。22日に会見が行われる予定で、22日の中日戦(マツダスタジアム)を引退試合とすることも発表された。

   ◇   ◇   ◇

華麗な守備と積極的な走塁で沸かせてきた赤松が、グラウンドでの戦いを終える決断を下した。広島球団は背番号38の今季限りの現役引退を発表。1軍通算867試合に出場、403安打、打率2割4分9厘、21本塁打、144打点、136盗塁。病魔とも闘ってきた男が、ひと区切りをつける。

思いもしない病気が発覚したのは、チーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献した16年のシーズンオフだった。その年、赤松は3シーズンぶりに80試合以上となる89試合に出場。2年ぶりの2ケタ盗塁(12盗塁)を決めるなど、主に代走や守備固めで活躍したが、同年12月15日に「胃がん」が見つかった。同年の年末に公表し、翌17年1月に摘出手術を受けた。術後に「リンパ節」に転移が見つかっていたことが判明。それでもグラウンドで戦うことをあきらめず、同年7月に抗がん剤治療を終え、リハビリ組の3軍に復帰。18年は2軍戦でも実戦復帰し、同7月には復活アーチもかけていた。

もともと、不屈の闘志、あきらめない思いはプレーにも表れていた。04年ドラフト6巡目で阪神に入団。07年オフに阪神から新井の人的補償で広島に移籍。俊足の外野手として、新しい本拠地となったマツダスタジアムの中堅手としてレギュラーに定着した。10年8月4日横浜(DeNA)戦で左中間方向のホームラン性の当たりをフェンスによじ登り好捕。このプレーが大きな注目を集め、米スポーツ専門テレビESPNでは全世界のあらゆるスポーツの中から選ばれるその週の「トップ10」の1位に選出されるなど世界でも取り上げられたほどだ。

今季は「自分のためじゃない。周りのため。自分のためだったらとっくに辞めている。ラスト1年。その気持ちで闘いたい」と1軍復帰を目標に掲げ、2軍で46試合に出場していた。ここまで3年ぶりの出場はかなわなかったが、走り続けた現役生活だったことは間違いない。

◆赤松真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)から立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神入団。07年オフにFA移籍した新井貴浩の人的補償で広島へ移籍した。外野守備の名手として存在感を示し、10年にはゴールデングラブ賞を受賞。今季はウエスタン・リーグで46試合に出場し、28打数4安打、0本塁打、3打点、打率1割4分3厘、2盗塁。182センチ、70キロ。右投げ右打ち。

▽広島緒方監督 昨日(6日)永川が引退発表して、今日は赤松。2人とも選手時代からともにプレーしたし、さみしさを感じる部分はある。何とかいい形で送り出してやりたい。

▽広島会沢 先輩後輩関係なくフレンドリーだった。本当にさびしい。もう少し一緒にやりたかった。

▽阪神原口(自身も大腸がんから復活) 僕が発表した時に、コメントをいただいて本当にうれしかったですし、赤松さんが元気に野球をやられているのを見て、すごく励みになった。自分も、もう1回前向きになれた1つの理由になった方。2軍でも気さくに声をかけていただいて、本当にありがたかったです。1軍の舞台で野球が出来ることが幸せなことだと改めて思うので、これからも僕が頑張ることが恩返しになると思う。自分自身頑張っていきたいですし、お疲れさまでしたという気持ちです。

▽阪神能見(赤松とは04年同期入団) そうなんですか!? 第2の人生が長いので…。

▽龍谷大平安・原田英彦監督(赤松の高校時代の恩師) 3日前に電話で聞きました。チームにとっての自分の存在を考えて、打率が良くないので引退を決意した、と。自分で決めたと言っていたのであいつらしい。優しい子です。周りの事を考えた彼らしい決断。胃を半分摘出してプロに復帰した前例もなかったですし、よく頑張ったと思います。もう1度1軍で喝采を浴びる姿を見てみたかった。やっぱり寂しいですね。

▽立命大・松岡憲次前監督(赤松の大学時代の恩師) 『引退します』と連絡をくれました。最初に病気のことを聞いたときは、つらいという思いしか浮かびませんでした。何で赤松がそんな病気になるんだ? と。でも病気に負けることなく、本当によく頑張ってくれました。教え子というより、立命大の後輩として誇らしいです。広島カープも温かく見守ってくださいました。お礼を申し上げたいです。