現役時代に数多くの名勝負を繰り広げた吉田義男氏(86=日刊スポーツ評論家)も金田正一氏の突然の訃報に驚きを隠せなかった。

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金田氏が「もっとも苦手な打者」と公言していたのが、阪神遊撃手で、元監督の吉田氏だった。訃報を聞いた同氏は「一時代を築いた大投手。寂しいです」と声を詰まらせた。

昨年1月末、江本孟紀氏(72)の叙勲受章祝賀会で顔を合わせたのが最後になった。吉田氏は「戸籍上はわたしと同じ年になっていますが、実際はカネさんのほうが年上。そんなことだれも知らないでしょう。わたしは本人から打ち明けられていました」と秘話を明かした。

上背のある金田氏に対し、約17センチ低い身長167センチだった吉田氏は「ぼくは背が低かったが高めのボールが好きで、バットを寝かせて構えた。カネさんが投げ下ろしてくる剛速球が高めにきたところをよく打ちました」と振り返った。

国鉄のエースだった金田氏が1957年(昭32)5月28日の阪神戦(甲子園)、プロ8年目にして初めてサヨナラ本塁打を許したのが、「牛若丸」と称されたショート吉田氏のバットだった。

「マウンドのカネさんから、『おいっ、チビっ、打ってみぃ!』とよく言われたものです。打席の後ろで捕手にささやかれるのはよくあったが、ピッチャーから挑発してくるのはカネさん1人でした」

63年8月31日同戦(甲子園)では、吉田氏の右中間適時二塁打の1安打が金田氏のノーヒットノーラン達成を阻んだ。「センターの丸山(完二)に『前に来い、前に来い』と何度も言うので、わたしも燃えた。それがセンターの頭上を越えるヒットになった」と記憶をたどりながら「永遠のNO・1投手です」と哀悼の意を表した。【寺尾博和】

◆金田対吉田メモ 2人は53~69年に対戦し、通算328打数95安打、8本塁打の打率2割9分。300打数以上対戦しながら三振は15個だけで、60~63年は三振0だった。川上(巨人)には通算241打数で本塁打を1本も打たせなかった金田だが、通算66本塁打の吉田に8本塁打を許している。吉田が最も本塁打を打った投手が金田だった。