球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート部門で阪神、西武などで活躍した田淵幸一氏(73=野球評論家)が選出された。

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田淵さんは「大きい」人だ。楽天ヘッドコーチ時に担当したが、185センチ、94キロは選手に混じっても目立っていた。性格もおおらかで、声を荒らげる場面はほとんど見なかった。大食漢でもある。星野監督、担当記者と福岡のちゃんこ屋へよく行った。1品目のサラダからボリュームたっぷりで、コース完食は困難。20代の男性記者でも音を上げたが、田淵さんだけは食のペースが落ちなかった。酒もよく飲む。それでいて夜9時にはさっと宿へ戻り、お休みする。飲まない星野さんは苦笑していた。

福岡では、こんなことも。人気のパスタ屋に星野さんや私の先輩記者と出かけた。スパゲティに卓上のペッパーソースをかけたが、ひと振り、ふた振りどころが、瓶の残りを使い切ってしまった。先輩は「間違ってかけてしまったんだな」と思ったそうだが、星野さんは「こいつは味覚がないから大丈夫だ」と爆笑。当の本人は平然と平らげたという。一方で、繊細な人でもある。血液型分析が十八番。選手の性格を見て指導していた。記者の質問には丁寧に答えてくれた。

星野さんとの絆は「盟友」という言葉でも表せない。甲子園に行けば、決まって左中間席上段のカップ麺の看板を指さし「(星野)監督から、あそこまで打ったんだ」と得意げだった。

星野さんが2年前に亡くなった後、お会いする機会があった。自然と星野さんの話になった。内容は覚えていないが、田淵さんが筋を通したことは覚えている。監督、コーチの間柄となってから、星野さんが亡くなるまで決して「仙ちゃん」と呼ばなかった。常に星野さんを立てていた。殿堂入りを一番喜んでいるのは星野さんだろう。天国で「ブチ、おめでとう」と言っているに違いない。【11~14年楽天担当=古川真弥】

◆田淵幸一(たぶち・こういち)1946年(昭21)9月24日生まれ、東京都豊島区出身。法政一から進んだ法大で、通算22本塁打の東京6大学新記録(当時)を樹立。68年ドラフト1位で阪神入団。1年目に22本塁打で、捕手では史上初の新人王に。75年、巨人王の14年連続本塁打王を阻み、初の本塁打王。78年オフに4対2の大型トレードで西武移籍。82、83年の日本一に貢献し、83年正力松太郎賞。ベストナイン5度、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)2度。84年現役引退。90~92年ダイエー監督。その後は大学時代からの盟友・星野仙一氏が指揮した02~03年阪神、08年北京五輪日本代表、11~12年楽天でコーチを務め、現在は野球評論家。