球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート部門で阪神、西武などで活躍した田淵幸一氏(73=野球評論家)が選出された。歴代11位の通算474本塁打を放ち、ダイエー(現ソフトバンク)で監督、阪神、楽天でコーチとして指導した。

特別表彰では60年の「早慶6連戦」を指揮した元早大監督の石井連蔵氏(享年83)と元慶大監督の前田祐吉氏(享年85)が選ばれた。プレーヤー部門ではヤクルト高津監督らが候補だったが得票率で達せず、競技者表彰がプレーヤー表彰とエキスパート表彰に分かれた08年以降、初めて選出がなかった。

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前田氏は慶大の「エンジョイ・ベースボール」の理念を地で行った。2度目の任期時の教え子で、昨季まで慶大監督を務めたJX-ENEOSの大久保秀昭監督が恩師の人柄を振り返った。「時代を先取っていた。野球以外のこともいろいろと教えてもらい、ダンディーな方だった」。約30年も前から、投手の現在の潮流である「動くボール」の重要性を説いていた。近代のフライボール革命を予見していたかのように、長打を狙うスイングも好んだ。

選手を大人扱いし、心をわしづかみにした。前田氏の次男で同大野球部で親子鷹の時代も過ごした大介氏(48)は「学生との適切な距離感を持っていた」と言う。寮では食後に選手とマージャン卓を囲み、コミュニケーションを図った。大久保監督の学業が振るわないと、高校まで一緒に謝りに行き、教え子に激怒したが、終わった後は「これぐらいで良かったか?」と言葉を添えた。

伝説の「早慶6連戦」を指揮し、惜敗した。大久保監督は「負けたサイドだから、あまり語りたがらなかった。ミーティングでも6連戦の話は一切しなかった」と伝説を直接聞く機会はなかった。それでも名将のDNAは多くの野球人に継承されている。【広重竜太郎】

◆野球殿堂 1959年創設。競技者表彰(プレーヤー部門とエキスパート部門)と特別表彰がある。プレーヤー部門の選考対象は現役引退後5年を経過してから15年間。エキスパート部門は選手引退後21年を経過したり、監督、コーチを引退後6カ月を経過した人が対象。特別表彰はアマチュアや審判員、野球発展に顕著な貢献をした人が対象になる。

◆前田祐吉(まえだ・ゆうきち)1930年(昭5)9月22日、高知県生まれ。城東中(現高知追手前高)では投手として46年夏の全国大会(当時は甲子園ではなく西宮球場)に高知県勢として初出場。47年春も出場した。慶大から日本麦酒(現サッポロビール)を経て、60年に慶大監督就任し、65年に退任するまで3度優勝。82年に監督復帰し、93年に退くまで5度優勝し、2度の任期で計8度優勝。63、87年全日本大学選手権優勝。監督を退いた後、全日本アマチュア野球連盟(現全日本野球協会)の選手強化対策委員長を務め、96年アトランタ五輪で選手選考に携わった。その後はアジア野球連盟事務局長としてインド、タイなどで指導した。16年1月7日、死去。高知県出身者の殿堂入りは初。