中日元監督の高木守道さんが17日、心不全のため死去した。78歳だった。

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名手高木の訃報を聞いてこんな話を思い出した。野球殿堂入り(06年)した直後、殿堂博物館で雑談したときだった。「ベースカバーには常に全力で走りました。あれは誇れます」。グラブトス、バックトスの名人芸をこなす人が、実は高校生でもできる基本プレーを何より自慢した。

三遊間に打球が飛ぶと、一塁のベースカバーに走った。「高い球が来たらノーバウンドでつかんでやろうと思っていたから」。さすがに実現はしなかった。報われないプレーに、手を抜こうと思ったこともある。それが当時大洋(現DeNA)を率いていた別当監督に「高木君のベースカバーはすばらしい」と絶賛され思い直したという。

「見ている人は見ていると思った。おかげでこの年になっても、三遊間に打球が飛ぶと、走っちゃうんですよ」。当時、プロOBたちを集めたマスターズリーグが開催されていた。もう60歳を過ぎていたが、条件反射のようにベースカバーに走った。

バックトスは南海から移籍したカールトン半田から教わった。試合で初めて試みた際、ミスをした。水原監督から禁止令を出されたが、やめようとはしなかった。基本にはとことん忠実ながら、同時に大監督を前にしても決して引かず、名人芸を身につけた名二塁手だった。【米谷輝昭】