ロッテの重光武雄オーナーが19日、老衰のために韓国・ソウル市内の病院で死去した。98歳だった。

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重光オーナーの訃報を聞き、深夜の出来事がよみがえった。ロッテ担当1年目からオーナーを追いかけ回し、毎日深夜まで自宅の張り番をしていた。重光さんが乗ったリンカーンのボンネットに体を乗せて、自宅に入れないようにしたこともあった。

ロッテのガムを売るために、リヤカーを引っ張っていた苦労人だった。シャイだが、何を聞いても笑顔で答えてくれた。怒った顔は見たことがない。ある時は午前0時を過ぎたのに家に招き入れ、ロッテの雪見だいふくを食べさせてくれた。「これ(雪見だいふく)は私が命名したんですよ」と笑顔で話していた。

中日と落合の交換トレードが決まりそうになった時、重光邸の庭で取材すると「誰となら交換してもいいのでしょうか」と聞かれた。こちらが「小松クラスでないとダメですよ。釣り合いが取れません」と言うと、いつもの笑顔で「そうですか、そうですか」と返ってきた。

その直後、ロッテと中日の間で1(落合)対4(牛島、上川、平沼、桑田)のトレードが決定して、日刊スポーツのスクープになった。これまで多くのプロ野球のオーナーを取材したが、これほど親身になって質問に答えてくれたオーナーはいなかった【79~86年ロッテ担当=内山泰志】