プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。 

   ◇   ◇   ◇

吉田義男氏 野村くんはプロ野球界に貢献した我々の世代のヒーローです。選手としても、監督としても超一流だった。昨年6月の交流戦で、甲子園のレストラン「蔦」で会ったのが最後になりました。

1964年(昭39)の阪神は、日本シリーズで南海に3勝4敗で敗れるわけですが、正捕手としてけん引したのが野村くんでした。杉浦、スタンカ、広瀬が目立ったシリーズでしたが、野村くんの際立った存在感は記憶に残っています。

セとパでリーグの違いはありましたが、選手、監督として戦って、同じ時代を生きました。わたしが阪神監督だった76年、南海監督だった彼の大阪・豊中の自宅に江夏のトレードの件で電話で話したのも、ついこの前のことのように覚えています。

プレーヤーとしては、ヒットの延長がホームランという考えでした。また監督としては、「シンキングベースボール」に、「個性を引き出す」という点でたけた指導者でした。

わたしが2つ年上で、郷里が同じ京都だったからか、彼はわたしを「先輩」と呼んでくれていました。それは阪神という伝統球団の監督に就いた共通項があったからかもしれません。

今はそうでもないですが、阪神監督の厳しさは、そこに身を置いてみないとわかりません。生え抜きでなかった野村くんは三顧の礼で阪神に迎え入れられましたが、結局は3年連続最下位で結果に表れませんでした。しかし、その後に監督に就いて大補強に転じた星野で優勝を成し遂げたのは、阪神がチーム強化に本気になったからです。それは野村くんの功績でしょう。寂しいね。ご冥福をお祈りいたします。(日刊スポーツ客員評論家)