新型コロナウイルス感染で入院していた近鉄、日本ハム、楽天で監督を務めた梨田昌孝氏(66=日刊スポーツ評論家)が20日、大阪府内の病院を退院したことを、所属事務所のトゥルーマサ社が発表した。奇跡的な回復をみせて50日間にわたった闘病生活を乗り越えた。

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この日午後、梨田氏は大阪府内の病院を退院し、自宅に戻った。3月31日に緊急入院して以来、50日間にわたった新型コロナウイルス感染との闘病生活から解き放たれた。いつもの穏やかな表情で、しっかりとした足取りだった。

所属事務所を通じ、自分の容体と必死に向き合ってくれた医療従事者に「皆様のおかげで、私は一命を取りとめることができました」と謝意を示した上で「救っていただいたこの命を大事に、わたしの役割を果たして参ります」と決意を述べた。

一時は予断を許さない状況だった。3月25日に体調不良を訴えて病院での検査後、呼吸困難に陥った。「重度の肺炎」と診断されて入院。4月1日にPCR検査で陽性判定がでて、集中治療室(ICU)で人工呼吸器を装着されての治療が続いた。

懸命の治療が施され、入院から18日がたった4月17日には一般病棟に移った。この間、新型コロナウイルスの治療薬に用いられる「アビガン」は服用しなかった。複数回のPCR検査の末、2回続けて陰性結果がでたことで、退院の条件を満たした。

しかし、今までなかった不整脈の症状がみられたことで治療が続き、このほど正常に戻った。人工呼吸器をつけた治療が長かったこともあってリハビリに時間を要したが、それも順調に進んだようだ。この日の最終チェックをへて退院となった。

入院している間に体重は10キロ以上減となったが、体調に支障はない。開幕が大幅にずれ込むプロ野球の行方に「いつ開幕するのかな?」と心配している様子という。今後は自宅で静養しながら、NHK野球解説者、日刊スポーツ評論家として、現場での仕事復帰を目指す。【寺尾博和】

【梨田氏の闘病生活】 

◆3月25日 倦怠(けんたい)感を覚える。

◆28日 発熱。

◆30日 呼吸困難を訴え、病院で受診。

◆31日 別の病院で「重度の肺炎」と診断。さらに別の大阪府内の病院に入院してPCR検査を受けた。

◆4月1日 所属事務所が感染を公表。ICU(集中治療室)で治療を受けていることを明かした。

◆14日 人工呼吸器を外す。

◆17日 ICUを出て一般病棟に移る。

◆5月6日 PCR検査で2回連続の陰性判定が確認された。ただ、不整脈の症状があり治療を継続。

◆20日 退院。

 

◆梨田昌孝(なしだ・まさたか)1953年(昭28)8月4日生まれ、島根県出身。浜田から71年ドラフト2位で近鉄入団。88年限りで引退。93年にコーチで近鉄復帰。00年に監督に就任し、01年リーグ優勝。08年から日本ハムを率い、09年リーグV。11年に勇退し、16年から18年途中まで楽天監督を務めた。