元PL学園監督、法大野球部監督の山本泰氏(やまもと・やすし)が11日午前1時半、腹部大動脈りゅう破裂のため東京・府中市の病院で死去した。75歳。大阪府出身。葬儀、告別式は近親者による家族葬で行う。

南海(現ソフトバンク)の黄金期に指揮を執った故鶴岡一人元監督の息子で、1945年(昭20)生まれ。旧姓は鶴岡で、法政二高(神奈川)、法大では外野手でプレーした。日本楽器などを経て74年、PL学園監督に就任。78年夏、同校を甲子園初優勝に導いた。西田真二と木戸克彦のバッテリーを擁し、準決勝の中京(現中京大中京)戦は0-4の9回に追いつき延長12回サヨナラ勝ち。決勝の高知商戦は0-2の9回に3点を挙げ逆転サヨナラ。「逆転のPL」が代名詞になった。甲子園出場は春夏5回で14勝4敗。一時代を築き、80年夏を最後に中村順司氏にバトンを渡した。

PL学園の監督退任後は大産大高(現大産大付)の監督に就任し、90年から4年間、法大監督を務めた。その後近鉄スカウトに転身し、岩隈久志(現巨人)らの獲得に尽力。のちにマリナーズのスカウトも務めた。