福岡が生んだ大投手が天国へと旅立った。旧制小倉中、小倉、小倉北のエースとして1947、48年夏の甲子園を連覇した福嶋一雄さんが27日、亡くなった。89歳だった。第2次世界大戦後の苦しい時代を生き、48年夏は甲子園全5試合完封勝利の大記録も打ち立てた。

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それは突然の告白だった。「私も実は…。すいぞうがやられてて。宣告されてるんです」。そう話す福嶋さんの穏やかな表情とは裏腹な言葉が私の心に突き刺さった。最愛の母が亡くなった時のことを聞き「母はがんでした」と答えた直後のことだった。どう反応していいのか、異様な空気に包まれた時間だけが流れた。

初めて会ったのは14年の2月だった。「甲子園の土を持ち帰った初めての選手」としての取材だった。自宅に招いてくれてリビングで1つ1つ丁寧に答えてくれた。そして17年2月。連載「野球の国から」の高校野球編で再び取材した。戦中の厳しい環境の話を聞くと「健康でいることが一番幸せです」と白い歯をこぼしていた。しかし、6月に写真撮影に訪れた時は驚くほどやせていた。そして冒頭の告白となった。

息子さんの話に及んだとき、少し寂しげだった。長男は父を追うように野球に打ち込み、小倉高校野球部で投手となった。しかし思うような結果が出なかったという。「野球はそこでやめました。何かと私と比べられたらしく『父とは違うなあって言われて…。やってられるか』と本人は怒ってました」。夏連覇のエース、全5試合連続完封での優勝。今では考えられない実績を残した父は偉大すぎた。「次男とともにたまに福岡に帰ってきてくれる。孫と会うのも楽しみなんです」。野球の道は引き継いでいないが、人思いな部分は受け継いでいる。

「社会人野球をもっと取り上げてくれませんか」。会うと必ず出る福嶋さんの口癖だった。高校、大学、社会人とアマチュア界を「投げきった」小さな投手。天国のマウンドで思う存分、野球を楽しんでください。合掌。【浦田由紀夫】