阪神藤川球児投手(40)が、今季限りでユニホームを脱ぐことを決めた。8月31日、球団が発表した。開幕から守護神を務めたが、コンディション不良に苦しんだ。ここまで11試合で1勝3敗2セーブ、防御率7・20。現在は2軍調整中で、日米通算250セーブまで残り5と迫っている中での決断となった。引退会見は1日に兵庫・西宮市内で行われる。

   ◇   ◇   ◇

引退の一報を聞いて、ただただ寂しくなった。きれいな辞め方ではないだろう。それでも最後まで精いっぱい戦い抜いた泥臭い感じが、球児らしいとも思う。今後、永遠に語り継がれるであろうストレートの持ち主。05~06年の2年間しか付き合いがないが、それでも「本物」のプロを間近で見たという、強烈な記憶が今も残っている。

素顔は、気遣いのできる優しい男だった。こう書くと球児は怒るかもしれないが、どちらかといえばビビリな方だったとさえ思う。そんな用心深い性格だったから、プロとして大成できたのかもしれない。

05年4月21日、東京ドーム。通算500本塁打がかかった巨人清原と対戦し、フォークで三振を奪った。清原は変化球で勝負されたことに腹を立て「チ○ポコついてんのか」と発言。これはスポーツ紙に大きく取り上げられ、ちょっとした騒動になった。この発言について阪神担当記者に尋ねられた球児は「新聞で読みました。ビビった? ビビりませんよ。ビビるはずがない」と答えたという。その翌日、日刊スポーツ東京版には球児の記事に「ビビるか!!」という小さな見出しがつけられた。

これを見て遠征中の球児は慌てた。横浜スタジアムで日刊の記者をつかまえ抗議した。誤解されかねないと感じたのなら謝ると、なだめた。相手は球界の番長。気持ちは分からないでもなかったが、ビビらないと言ったはずの球児は、かなりビビっていた。

ただ、そもそも腹いせのように「チ〇ポコ」を持ち出した清原も清原なのだから、そんなに慌てなくても…と思ったことを覚えている。あの騒動は本人も後に語っているように、「球児ブレーク」の1つの節目になった。

こんな感じで当時20代半ばの球児は完璧ではなく、人間臭い男だった。思い込みが激しくて失敗したこともあった。プロ入り後の話。ある試合でカーブのサインにうなずき、頭の中ではカーブを投げるつもりだったが、なぜか握りは直球。リリースの直前、気づいた。どうすることもできず、苦し紛れに投げた球は打ちごろの半速球。スタンドまで運ばれたという。

人間臭さの極みは、かなりの泣き虫であること。プロ初勝利、05年の優勝、06年のお立ち台、阪神復帰会見。男泣きした場面は数えきれない。そんな男が、マウンドに別れを告げようとしている。まだやれる、もったいないという無責任な思いにふたをしつつ…。もしどこかで会うことができたら「お疲れさま」と声をかけたい。(敬称略)【05~06年阪神担当 浜田司】