すべてリリーフとして日米通算905試合に登板。現役23年目のヤクルトの五十嵐亮太投手(41)が、今季限りでの現役引退を決意したことが10日、分かった。シーズン開幕直前に下半身のコンディション不良で1軍を離れて以降、1軍に登録されることはなかった。近日中にも球団から正式に発表される見込みで、引退会見や引退試合が用意される予定になっている。ヤクルトのブルペンを支え、04年には日本最速タイ(当時)の158キロも記録。メジャーにも挑戦した快速右腕が、ユニホームを脱ぐ。

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ヤクルトのチーム最年長、五十嵐がマウンドを去る。現役最多の日米通算905試合登板を誇る鉄腕。節目まで残り95に迫っていた。「意識しろよ、五十嵐、と思っている。(周りの)期待に応えたい」と話していたが、目標の日米通算1000試合登板には届かなかった。

敬愛学園から97年ドラフト2位で入団。豪快なフォームから繰り出す速球派。甘いマスクで女性人気も高かった。同じくリリーフでブルペンを支えた石井弘寿(現投手コーチ)と「ロケットボーイズ」としても名をはせた。

10年にFA権を行使して米大リーグへ移籍。13年にソフトバンクで日本球界に復帰し、日本一に貢献した。18年オフに戦力外となり、古巣のオファーを受けて10年ぶりに復帰。昨季は45試合に登板し5勝1敗。今季もキャンプを1軍で迎えたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い延期になった6月の開幕直前に下半身のコンディション不良。その後、2軍での生活を送っていた。イースタン・リーグでは22試合に登板し1勝0敗、防御率5・40だった。

ベテランを支えたのは、飽くなき探求心だ。昨季まで一塁側のプレートを踏んでいたが、今年のキャンプでは三塁側からの投球を試した。打者の話も積極的に聞き、2段モーションにも挑戦。5月に41歳の誕生日を迎えた際には「衰えは否めませんが、挑戦し続ける気持ちが心を若くしてくれると信じ、これからも取り組んでいきたい」と話していたが、思い描くパフォーマンスに届かず徐々に“引退”を意識していた。腕を振り続けた23年。愛着のあるユニホームで、引退する。

◆五十嵐亮太(いがらし・りょうた)1979年(昭54)5月28日生まれ、北海道出身。敬愛学園から97年ドラフト2位でヤクルト入団。04年最優秀救援投手。09年オフにFAでメッツ移籍。ブルージェイズ、ヤンキースと移り、13年ソフトバンク入団。19年古巣のヤクルトに復帰。同年5月28日に史上7人目の800試合登板を達成。今季推定年俸4000万円。178センチ、95キロ。右投げ右打ち。

◆登板数メモ プロ野球記録は岩瀬(中日)の1002試合で、五十嵐の822試合は歴代7位。日米通算では905試合となり、これは岩瀬、米田(近鉄)949試合、金田(巨人)944試合に次いで4位に相当する。岩瀬は先発が1試合あり、800試合以上で先発0は五十嵐だけ。