2年目矢野阪神は「予祝」で始まった。矢野燿大監督は「2020年11月、我々は日本一になります」と明言した。公約違反とは言わない。だが「予祝」には、それなりの理由と根拠があったはずだ。昨季の弱点だった失策の多さと打線の決定力不足は、優勝が遠のく今季も解消されないままである。

85年、阪神日本一のトラ番で元和泉市長の井坂善行氏(65)は「キャンプを含めた練習メニューの工夫が必要では」と提言する。

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バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発に象徴されるように、85年の阪神日本一は打って打って打ちまくったシーズンだった。だが35年も前の安芸キャンプを振り返った時、トラ番として印象に残っているのは掛布の特打ちではなく、ファウルゾーンを含めたグラウンドをフルに使った野手全員参加の特守である。

監督の吉田は「足、足、足。足を使え」しか言わない。右に左に浴びせられるノックに対し、無意味に飛び込む選手には監督、コーチだけでなく、同じグループの野手からも「コラーッ、楽するな!」と罵声が飛んだ。

現役時代、牛若丸と呼ばれた吉田の言う「足」とは、飛んでくる打球に対し、簡単に飛び込むのではなく、もう一歩足を踏み込んで、下半身で打球を捕ることこそ、「攻めの守り」という考え方である。

2年目を迎えた矢野阪神は、今年も相変わらず失策が多い。12日現在、チーム失策数は両リーグワーストの67。野球にエラーはつきものだし、土のグラウンドを本拠地にする不利な面もあるだろう。だが、1年目の反省の上に立って迎えた2年目の今季、「11月には日本一になります」という「予祝」の根拠となる弱点克服への意識改革と取り組みがあったのだろうか。

今年2月、沖縄から届くキャンプ便りには、守備力向上への特筆するような記事は見かけなかった。中日監督時代の落合は、期待する野手には特打ちよりも、特守に付き合ったと聞いた。自らノックバットを握り、特守は1時間も2時間も続くのだそうだ。それは、85年当時の阪神ナインから聞いた「あれだけノックを受けると、勝手に下半身ができ上がる。そして、打っても勝手に打球が強くなる」の言葉通り、落合が期待する野手はマンツーマンの特守からレギュラーへと成長していったのである。

阪神も今、練習前に小幡ら若手は特守に取り組んでいるという。もちろん、悪いことではない。しかし、一方では連戦による体への負担を考慮して、試合前のシートノックをやめる日もあるというではないか。これではチーム全体に守りに対する意識が希薄になっても仕方があるまい。

チャンスにあと1本が出ない決定打不足を含め、ついに阪神は今年もまた、弱点を克服出来ないままシーズン終盤を迎える。チーム補強のポイントが「エラーしない選手」では、プロ野球チームとして笑うに笑えないオフになる。

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今回は35年前の安芸キャンプを思い起こして矢野阪神に提言したが、安芸キャンプに思いを巡らせていると、現2軍監督・平田のバント特打ちが懐かしく思い出された。安芸のメイングラウンドの下にあるサブグラウンドの横には薄暗い照明だけの室内練習場があった。今のような立派なドームではなく、それこそ雨をしのぐだけの施設だった。

メイングラウンドから特打ちの打球音が聞こえてくる中、平田がその室内練習場で黙々とマシン相手に取り組んでいたのがバント練習だった。コーチもいなかったから、メニュー外の自分の意思による「特打ち」だったのだろう。

取材陣はなぜか私一人だった。「井坂さん、バントやってみます?」。平田に挑戦状? をたたきつけられて、黙って引き下がるわけにはいかない。当時30歳。メガネなんて必要なかったし、バントぐらい…と思って平田のバットを借りて挑戦した。そんなことが許される時代だった。結果は恥ずかしながらバットに当てるのが精いっぱい。聞けば、球速は「155キロに設定」とか。あの球の速さは今でも覚えている。藤浪の160キロ、速いというより、怖いに違いない。

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。