けがに始まり、けがに泣かされ、けがで終えた。西武高橋朋己投手(31)が20日、所沢市の球団事務所で会見を行い、今季限りでの引退を表明した。

開幕1軍を初めて勝ち取った14年のシーズン。直毛でつんつんヘアのサウスポーが躍動した。クロスステップのスリークオーターからドスのきいた直球を投げ込む。とにかく厳しく。とにかく攻める。ポリシーのままに投げ込んだ。「僕なんかはプロに入れるような選手じゃなかった。ラッキーでプロ野球に入れた。毎日が楽しい。こんな世界は本来は無縁だったけど、ここにいれることがすごく幸せです。だから守りに入らず、常に攻めたい。『太く短く』としか考えていない」。当時の愛車は中古で購入したレクサスの高級セダン。走行距離10万キロに迫っていた。

気持ちは明るく振る舞えても、体は正直だった。13年に左肩を痛めながらもプロ入り。14年だけはフル稼働するも、15年終盤に右足腓骨(ひこつ)骨折し、同年のプレミア12日本代表候補入りも辞退。16年の開幕直後に左肘の張りを訴え、左肘内側側副靱帯(じんたい)の再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた。「靱帯を再建すればもっと強くなる。速い球が投げられる」と前向きにリハビリに取り組んだが試練は続いた。

17年に実戦復帰にこぎ着け、終盤に1軍復帰を果たした。だが、順調には進まなかった18年に左肩痛を再発し、同年オフに戦力外通告を受け、19年は育成契約を結んだ。育成契約2年目の今季も左肩痛と左肩肉離れを繰り返し投球練習も満足にできない状況が続いた。

太く短く-。1軍で1年間通して活躍したのは2年に届くか、届かないか。印象的ではあるが、目立った成績はない。巨人村田2軍打撃コーチが現役時代に「チャプマンより速いと思う。高橋が一番、速く感じる直球」と言ったことがある。玄人は高橋朋の価値を分かっている。西武は育成選手に異例の引退会見の席を用意した。「けがをしているの分かっていてドラフト指名してもらった。けがをしてからもここまで面倒を見てもらった。感謝してもしきれない」。サッカーが盛んな静岡出身。歩んできたキャリアは決して王道ではない。現役時代を超高速で走りきり、走行距離は伸びなかった。恩返しは「太く長く」をモットーに第2の人生を歩む。【14年西武担当=為田聡史】