坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。

  ◇   ◇   ◇

兵庫・伊丹が生んだスーパースターの「ハヤト」と「マサヒロ」の野球人生は、運命であるかのように交差する。出会いは小学生時代に所属した昆陽里タイガースだった。坂本がエースで田中が捕手は有名な話。坂本にとって、田中は最高のライバルだった。

「プロに行くのは田中じゃなく、坂本」。当時、監督だった山崎三孝理事長は坂本の能力にほれた。ただ、遠投は田中が2~3メートル上。何度投げても負けたが、ある時坂本から「(田中は)足がラインをはみ出してます」と言われた。ともに究極の「負けず嫌い」だった。

中学から別の道を歩んだが、高校で一緒にプレーする可能性もゼロではなかった。光星学院(現八戸学院光星)の元監督で、明秀学園日立・金沢成奉監督は別の選手の視察で訪れた時、中学2年の田中の強肩に驚いた。「レフトからすごいボールを投げる子がいて。それが、田中君だった」。最初に目についたのは田中だった。

1年後の夏、大学の後輩から推薦されたのが坂本だった。夏の甲子園に出場中で「勝ったら見に行く」と返答。1回戦を突破し、機会を得た。翌日、河川敷のグラウンドでノック、ティー打撃を見た瞬間に「この子は何やと。野球で人生を切り開いていける」と確信した。

金沢監督が視察した別の選手とともに、田中は駒大苫小牧に進学した。06年6月、光星学院の創立50周年記念で駒大苫小牧を招待。田中と対戦した。「何かに引き寄せられようにね。運命ってあるんやね」。プロ入り後の対戦は18打数5安打、打率2割7分8厘、本塁打0。2人を「野球の糸」がつなぐ。【久保賢吾】