14年ぶり古巣復帰となる中日福留孝介外野手(43)が、「永遠の監督」に最後まで燃え尽きると誓った。

元中日、阪神、楽天監督の星野仙一氏が18年1月4日に70歳で亡くなり、ちょうど3年がたった。プロの世界に導いてくれた恩師は、新たな挑戦にどのような言葉を掛けるだろうか。4月に44歳となる球界最年長が思いを語った。

   ◇   ◇   ◇

特別な思いで1月4日を迎えた。福留が「僕の中では永遠の監督」と話す星野仙一氏の命日である。プロ通算23年目の今季は、プロ野球選手として歩みを始めた中日のユニホームに袖を通す。当時の監督だった星野氏が存命であれば、どのような言葉を掛けてくれるのか。頭に浮かんだのは豪快な笑い声。そして、福留の手をギュッと強く握り、叱咤(しった)激励してくれる姿だ。

福留 たぶん「お前が決めたことだから最後まで貫いてやれ!」って背中を押してくれると思う。「やりたいようにやればええんや」ってね。ユニホーム姿を見たときに「おお、懐かしいな」って声も掛けてくれる気がするね。

プロの扉を開いてくれた。95年ドラフトでは、高校生ドラフト史上最多の7球団競合という大きなリスクを背負ってでも星野監督は指名してくれた。近鉄の指名を拒否して進んだ日本生命時代にも、動向を常に見ていてくれた。福留は思いに応えるように逆指名で中日に入団。内野手から外野手への転向を決断してくれたのも星野監督だ。

厳しさだけではない。福留が感じたのは、家族のような優しさだ。沖縄のキャンプには必ず両親を招待してくれた。宿舎の自室に福留と両親を招き、鹿児島の黒豚、福留家特製のつけだれでしゃぶしゃぶ。これが恒例だった。福留が球宴に初出場した99年7月には、星野監督から母郁代さんの元に記念の指輪が届いた。福留は今でも「身内のような人」と話す。

17年7月。ナゴヤドームの球宴前に行われた野球殿堂入り表彰式。星野氏は中日ファンに呼びかけた。「こんなにいっぱいのナゴヤドームは見たことない。もっとドラゴンズを応援してやって下さい。甲子園も、仙台のコボスタもいつも満員ですよ。ここだけガラガラ」。中日の行く末を心配していた同氏は、福留の古巣復帰を喜んでくれるに違いない。

福留 どうかな。喜んでくれるかな。でもそこで恥ずかしくないようにやっていかないとね。監督にも顔を合わせられない。そういう意味では盛り上げられるようにという意味もあるし、まず自分が精いっぱいやることが大事。

監督と出会った原点とも言える場所に帰ってきた。これもまた運命。熱い思いを胸に、再びドラゴンズブルーに袖を通す。【桝井聡】