14日に特別表彰での野球殿堂入りが発表された日本楽器(現ヤマハ)の元監督・川島勝司氏(77)がこのほど、日刊スポーツ静岡版のインタビューに応じた。現在は、静岡県内の野球11団体(県野球協会や県高野連など)を束ねるNPO法人・静岡県野球協議会の会長を務めることから、県内の野球についての思いも明かした。【取材・構成 河合萌彦】

-殿堂入りが決まり、現在の心境は

川島氏 自分が選ばれてふさわしいのかなと思ったが、ありがたくて素直にうれしかったですね。

-過去に殿堂入りした偉大な方々の仲間入り

川島氏 雲の上の存在だった方々の中に加えていただき、望外の喜びです。

-指導者として輝かしい実績を残し、日本野球連盟などで要職も務めた。指導者の育成など、アマチュア球界への多大な貢献が評価されたが、その礎は日本楽器時代に築かれた

川島氏 監督1年目の72年に都市対抗で優勝し、そのチームを主体に編成した全日本代表を率いて、ニカラグアでの世界選手権に出場した。それが全日本に関わる出発点になった。

-日本楽器の監督に28歳で就任した

川島氏 若かったので、無我夢中でした。コーチたちも同世代で若く、選手たちも「ガンガンいこうぜ」といった感じだったので、目の前の目標に向けて、がむしゃらに突っ走っていましたね。

-78年に2度目(~80年)、87年に3度目の監督就任(~92年)。指導の仕方は変わったのか

川島氏 野球はチームプレー。全員の力を合わせた「総合力・団結力」をいかに高めるかを考えるようになった。また、選手の特性を大事にしたいなと思い、「試合は選手がやるんだ」ということを常に胸の中に入れていました。

-現在、会長を務める県野球協議会はどういった活動内容なのか

川島氏 主に県内の野球指導者との勉強会を行ったり、未就学児向けの野球教室を開催して裾野を広げる活動をしています。

-同じように野球普及活動をしている三島南高が、今春センバツの21世紀枠候補になっている

川島氏 プロ野球や社会人、大学野球も同じような活動をするが、高校生がそういうことをするとは頭になかった。数年前に同校の話を初めて聞いたときは、とても素晴らしいことだと感じたので、ぜひ選ばれてほしいなと強く思う。

-今後の県内野球界に何を望むか

川島氏 静岡県の野球が元気だなと感じられるのは、高校野球の甲子園大会で活躍すること。その上で大学、社会人レベルのチームが全国大会で優勝なんてしたら、県民の野球への関心が高まり、明るい話題にもなる。そういった位置に近づけるように、野球協議会としても協力していきたい。

◆川島勝司(かわしま・かつじ)1943年(昭18)4月17日、栃木県生まれ。桐生高(群馬)から中大を経て、66年に日本楽器(現ヤマハ)入社。都市対抗に2度出場(1度は河合楽器の補強選手)し、2年連続で優秀選手(67、68年)に選出。日本楽器の監督時代には、都市対抗で3度の優勝(72、87、90年)を果たした。88年ソウルオリンピック(五輪)で全日本のコーチを務め、93年に監督就任。96年アトランタ五輪で銀メダルを獲得した。