史上初となる3球団での開幕戦勝利(※1)を飾った楽天涌井秀章は、3月26日の試合直後に支えてくれる家族への感謝を込めた。

「寂しい思いとかをさせてると思うので、その分、野球をしっかりやらなきゃいけないというのもあります。たぶん、今はすごく喜んでくれてると思います」

16年11月、タレントの押切もえと結婚した。「野球に集中できる環境をつくってくれる」とプレーのサポートとともに、家を空けることが多くなるシーズン中は子育ても「ほぼ全部、奥さんがやってくれてます。大変だと思いますし、本当に感謝してます」。妻への信頼と感謝が、根底にある。(※2)

野球ではストイックに鍛錬し、白星を重ねる一方で、自身の家庭観や父親像について多くを語ってはこなかった。「基本的には、放任主義ですかね。子どもがやりたいことをやらせてあげたいなと思います」。3歳の長男は現在、習い事で体操教室に通うが、2つ返事でOKした。

両親から受けた教育の影響があるのだろうか。「いや、全く逆ですね」と首を振り「自分で決めたのは、小1の時にソフトボールを始めた時だけ」と笑った。「中学の時にシニアのチームに入ったのも、横浜高校に入ったのも決めたのは親」と回想。「あっ…。でもプロに行く決断をしたのは、小倉部長から『プロしかないだろ』って言われたから」と苦笑した。(※3)

野球人へと導いてくれた母に、たった1度だけ、長文のメールを送ったことがある。

04年夏の甲子園準々決勝敗退後(※4)、「いつも遠いとこ応援に来てくれてありがとう」から始まる文章に感謝の思いを込めた。「ああいうメールを送ったのは、あの時だけですね」。のちに母から涙が止まらなかったと聞いた。

約10年前の新聞記事がある。

【約10年前の新聞記事 涌井を育ててきた母の回想】はこちら>>

両親への思いを語ったもので、時はたち、今は自分も親になった。涌井はふと「読んだら、奥さん泣くだろうなぁ…」とつぶやいた。母から愛情を注がれ、建具屋の職人だった父は優しくもあり、厳しかった。「よっぽどのことがない限り、殴られることはなかった」と記憶するが、怒られた時は家の外に出され、平手打ちや尻をたたかれた。

「怖かった」父の背中を見てきたからだろうか。長男にも「怒る時はすごく怒ります」。愛情があるから、時に厳しく接する。昨年12月、手に持ったパンを投げ、蹴飛ばしているところを見つけると、つかまえ、膝の上に座らせた。ふざけ続ける長男のお尻をたたきながら「ダメだよ」と叱った。大泣きだった。「ダメなことはダメだって教えてあげないと。自分の息子だから」。

遠征も多く、触れあえる時間が少ない分、一緒にいられる時間は全力を注ぐ。オフの日は、保育園まで送迎。寝るまで遊び、お風呂や寝かしつけもする。「一緒にいる時間は大事にしたいなと。甘えたい時もあるだろうし、『抱っこ』って言われた時とか、できるだけ応えてあげるようにしてます」と明かした。

今秋には第2子が誕生する予定。「2人目ができて、より頑張ろうと思えますか? って聞かれるんですけど、僕の中で野球は野球。自分が頑張れば、自然と家族のためにもなる。だから、試合に勝った時は、やっぱり家族の顔が思い浮かびますね」と笑みがこぼれた。

19年オフに楽天にトレード移籍し、昨季は西武、ロッテ時代を含め自身4度目となる最多勝を獲得した。(※5、6、7、8)長男はパパがプロ野球選手だと理解し、テレビの画面越しに声援を送ってくれる。将来は野球を…。「いや、何でもいいですよ。野球ですか? ん~野球は…厳しい世界だから。奥さんみたいに何でもできる人、僕やおやじみたいに1つの仕事を究める人、どちらでもいいので、自分のやりたいことをやってほしいですね」【久保賢吾】

(※1)【21年3月 3球団で開幕戦勝利 6勝は史上3位、上の2人は…】はこちら>>

(※2)【16年11月 押切もえとロッテ涌井が結婚 便箋3枚プロポーズ】はこちら>>

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