プロ野球の春季キャンプが始まる直前の1月下旬。U18高校日本代表の元監督で日大三島(静岡)の永田裕治監督(57)のもとに、2年連続で1通のメールが届いた。「キャンプに行ってきます。頑張ってきます」。ロッテ佐々木朗希投手(19)からだった。

19年に行われたU18W杯に監督と選手で出場した。「選んだ選手は『日本の宝』と思って、接してましたから」と父親のような表情を浮かべながら、16日の西武戦(ZOZOマリン)でプロ初登板を迎える佐々木朗にエールを送った。

「ともに戦った仲間やからね。結果を出してほしいけど、それ以上に元気な姿をファンのみなさんに見せてほしいなと思います。勝ってほしいけど、ケガだけは気を付けてほしい。それが一番大きいです」

最初に見た時の衝撃が、今も忘れられない。佐々木朗が高2の6月。日本ハムにドラフト1位で入団した金足農・吉田輝星を視察した道中、立ち寄った試合で心を奪われた。「過去に大谷(エンゼルス)とも試合はしましたけど、衝撃度で言えばそれ以上。とんでもない投手になる可能性を持った子やなと。真っすぐのスピード、あんなに足を高く上げてもバランス良く投げられる姿に驚いた」

その夏のU18アジア選手権、実は選考段階で「佐々木朗希」の名前が候補に挙がった。当時は制球力が課題で、選出は見送られたが、翌年の4月に行われた「国際大会対策合宿」で、度肝を抜かれた。紅白戦に登板し、スカウトのスピードガンで高校球界史上最速の163キロを計測。未知なる光景が広がるとともに、異様な声が聞こえた。

「ネット裏のスカウト席から『おぉー』って大きな声が聞こえて、何が起きたんやと。私の監督人生の中でも初めての経験。後で聞いたら、163キロだったと。高校生の『速い』の次元を超えてますよね」

その夏、U18W杯日本代表でともに戦う中で「芯の強さ」に触れた。U18W杯前に行われた大学日本代表との壮行試合。佐々木朗に先発を託したが、右手中指のまめの影響でわずか1回で降板した。

「本人は『投げたいです』と言ったんですが、私は将来を考えて『やめておこう』と話した。最後は納得はしてましたけど、ずっと『投げたいです』とは言ってましたね」

1月下旬、佐々木朗から届いたメールに、永田監督は2年連続で同じメッセージを返した。「ケガだけは気をつけてな」。プロでのデビューマウンドも、返信したメッセージと同じ思いで応援する。【久保賢吾】