先日、西武松坂大輔投手(40)の現役引退が発表された。同じ時代を生きた同世代にとっては、大きな存在だった。“松坂世代”と呼ばれた者たちには、なおさら。現在、広島には4人の“松坂世代”がいる。今はそれぞれが異なる立場でチームを支えている。

全国の野球ファンが松坂を知った99年春のセンバツ1回戦で横浜と対戦したのが、現在はスカウトとして関西地区を奔走する鞘師智也がいた報徳学園だった。「後にも先にも、あれだけ球が速く感じた投手はいない」。その試合、2安打した喜びよりも衝撃の方が大きかった。それは今も残る。「今の高校生も松坂のように球は速いし、体も大きい選手が増えたと思う。そういう意味では、松坂は高校野球も変えたのかもしれない」。あのときの衝撃を超える選手との出会いを、探しているのかもしれない。

日米通算170勝で世代最多勝の松坂に対し、世代最多セーブの永川勝浩1軍投手コーチはブルペンを担当している。高校時代は無名だっただけに「俺にとっては神様みたいな存在。高校時代からスター選手だったので、あまり同世代としての意識を持っていなかった」と笑う。初めて会話したのも3年前。シーズン中の募金活動時に顔を合わせたときだった。ライバルでもなければ、目標とも違う。「自分が松坂世代の1人として数えられていることが本当にうれしい」。その笑顔は、どこか誇らしげだった。現在、1軍管理課長として選手の査定担当を務める井生崇光も、同様に感謝を口にする。「ユニホームを脱いでからも、励みになる存在だった」。対戦の有無や親交の深さに関係なく、松坂は最後まで同世代のリーダーだったのかもしれない。

広島では、東出輝裕2軍打撃コーチが最も親交が深かった。敦賀気比3年時にAAAアジア選手権でともに日本代表として戦った。プロ入り後も「55年会」としてイベントに参加したり、食事をしたりすることもあった。「“松坂世代”という呼び名があり、その名にある自分が早く辞めるわけにはいかないという気持ちがあったのではないかな」。誰も想像できない重圧を背負ってきた野球人生に視線を落として労をねぎらうと、すぐに視線を上げて言った。「一ファンとして、次の舞台で指導者になることを楽しみにしている。強いチームをたくさん経験したので、いい指導者になるのではないかな」。近い将来の再会を願った。現役引退は人生の大きな区切りではあるが、広島の“松坂世代”はまだ野球界で戦い続けている。現役を続けるソフトバンク和田もいる。“松坂世代”が再び野球界で交わる第2章が、楽しみでならない。【前原淳】