NPB初の女性スカウトが、将来のスター発掘に励んでいる。オリックス乾絵美スカウト(37)はソフトボール日本代表として北京五輪で金メダルを獲得した異例の経歴を持つ。2人の恩師の助言や、日本のエース上野由岐子の存在。そして初めて担当したドラフト3位来田涼斗外野手(18)との出会い。20年1月1日のスカウト就任から、「男社会」にいかに溶け込んだか、胸中を語った。【磯綾乃】(後編は無料会員登録で読むことができます)

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こんがり焼けたポロシャツ姿のスカウトたちに混ざり、グラウンドに熱視線を送る。乾スカウトはしなやかに「男社会」に溶け込んでいる。

「もし他球団で、うちでもやってみようかってなってくれたら、最高やと思うんですよね。それが多分、自分の評価になってくるのかなと思う。自分があかんってなったら、『やっぱり女あかんかったか』『ソフトボールじゃ無理か』ってなる。でも今、実は全然こわくなくて。自分はやることをやって、評価してくれるのは周りかなと思っています」

一挙手一投足を追うのは、グラウンド内だけではない。ネクストバッターズサークルでの姿。さっき凡退したあの選手は、なんとなくまた打席に向かうのか、それとも「次、絶対打ったろ!」と燃えているのか。表情やしぐさから、読み取る。うまくいかずにベンチに帰った後は、グラブやバットを投げたりしていないか。最後の最後まで、目を凝らす。その根底には、自身の現役時代から大事にしてきた教えがある。

球界初の女性スカウトであり、初のソフトボール出身スカウト。新たな世界に飛び込むきっかけは突然だった。19年11月、オリックス牧田勝吾編成部副部長から話がしたいと連絡があった。「ソフトボール教室を頼まれるんだろうな。そんなにご丁寧に…」。当時球団の事業運営部コミュニティグループに属し、ジュニアチームや野球教室に関わっていた乾氏はなんの疑いもなく電話に出た。

「スカウトをやってもらえませんか?」

「え?」

驚きも覚めないまま、翌日改めて球団事務所で直接説明を受けた。通常の人事異動なら本人の許可なく決めることも出来るが、これまでに前例のないこと。本人の希望を聞いてからという、会社側の配慮だった。

「少し考えさせて下さい」。予想外の展開に悩む乾氏が最初に相談したのは、現役時代に指導を受けたアテネ五輪日本代表監督の宇津木妙子氏と、東京五輪同監督の宇津木麗華氏だった。「こんなお話をいただいてるんですけど…」。

控えめに話始めた教え子に、恩師2人は想像以上の〝力〟で背中を押した。「おふたりともが『やればいいじゃん』って(笑い)。自分が思ってるよりも、どんって、行け! みたいな感じで。おふたりにしゃべってからは、どうしようと思いつつも、どこかしらでは多分やるんだろうなって思っていました」。捕手としてプレーした現役時代、宇津木麗華氏からは投手や打者の見方といった技術をたたきこまれ、宇津木妙子氏からは人としての部分を口酸っぱく言われていた。「このおふたりの下で出来たのが、すごく幸せだった。2人がいてくれたから、多分今のこの仕事に就かせてもらえたんだろうなと」。

その電話のまま、宇津木妙子氏は約20分間にわたって、スカウティングの極意を伝えてくれた。日本代表、社会人、大学とさまざまチームで選手を見てきた恩師の言葉。競技の世界は違えど、今もスカウトとしての基礎となっている。

「『プレーだけで判断しちゃだめだよ』って言われたんです」。それは現役時代から聞いていたことだった。「道具をおろそかにする選手は、最後の最後に勝負がかかったところで、グローブからぽろっとボールが出ちゃったりする。関係ないわって思うかもしれないけど、そういうところまで神経使える人じゃないと、最後の本当の球際には強くなれないよ、と。技術以外のところもすごく言ってくれていました」。道具の扱い方はもちろん、握手した時の手の力強さ、親と話している時の態度まで。「そういうところは絶対に見なよ」。打診を受けるべきかの相談だったはずが、いつしかスカウトとして教えを受ける場になっていた。

乾氏はソフトボール日本代表の扇の要として、北京五輪で金メダルを獲得。上野由岐子ら一流選手とトップレベルでプレーした。ネクストバッターズサークルの選手を見るのは、現役時代の〝くせ〟でもある。「ずっと上野さんを見てきて、究極の場面でのマウンドでの立ち姿、振る舞い方、相手に向かっていく姿勢とか、それをずっと見させてもらっていた」。冗談を言いながらポンポン投げていた上野が、突然スイッチを入れて気迫で相手に立ち向かっていく姿。「勝負勘というか、本能みたいな」。そう表現する立ち振る舞いを、今はドラフト候補から探している。際立つ才能を持ちながら、走者を背負うと急に不安そうになる投手。かわしかわし投げていたのに、終盤にピンチを招くと最高の球を投げる投手。見え隠れする資質を自然と感じ取れるのは、一流を目の前で見てきた経験があるからだ。

「この子、グラウンドに立ってる姿かっこええなあ、とか。全然結果出えへんけど、なんか雰囲気だけはめちゃめちゃあんな、とか。そういう選手って面白いじゃないですか」。乾氏が初めて担当した来田涼斗外野手は、そんな理想を兼ね備えていた。20年オリックスドラフト3位。光る才能と出会ったのは、そこから6年前のことだ。

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