今季限りでユニホームを脱ぐ引退選手の特集。

西武松坂大輔投手(41)

7月7日、今季限りで現役引退することを発表。横浜高で甲子園を沸かせ「平成の怪物」と呼ばれ、99年西武入り。大リーグではレッドソックス、メッツなどを経て、15年にソフトバンクで国内に復帰した。その後は中日から20年に古巣・西武に戻った。1軍登板を目指していたが手のしびれを訴え、昨年7月に脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術を受けた。しかし回復の見込みがなく1軍、2軍ともに登板ゼロ。ブルペン投球もできていなかった。


10月19日、引退会見、日本ハム戦で引退試合。先発し横浜高の後輩・近藤と滞船。カウント3-1から四球を与え降板。最速は118キロだった

松坂大輔、引退一番の理由「右手のしびれ 感覚なくボール抜け」一問一答1

松坂大輔、心残りは「東尾さんに200勝してお返ししたかった」一問一答2


12月4日、ファン感謝イベントで引退セレモニー。イチロー氏がサプライズで登場した


◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ。東京都出身。横浜高で98年甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王に輝き、同年から3年連続最多勝。07年レッドソックスに移籍。インディアンス、メッツを経て15年ソフトバンク入団。18年中日に移籍し、昨季から西武に復帰。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸2000万円

引退会見する西武松坂
引退会見する西武松坂
西武対日本ハム 引退する西武松坂は静かにマウンドのプレートに触れる(撮影・菅敏)
西武対日本ハム 引退する西武松坂は静かにマウンドのプレートに触れる(撮影・菅敏)
西武対日本ハム 引退する西武松坂は笑顔でナインに胴上げされる(撮影・菅敏)
西武対日本ハム 引退する西武松坂は笑顔でナインに胴上げされる(撮影・菅敏)
引退セレモニーで西武松坂(左)はサプライズ登場したイチロー氏から花束を受け取る(撮影・滝沢徹郎)
引退セレモニーで西武松坂(左)はサプライズ登場したイチロー氏から花束を受け取る(撮影・滝沢徹郎)

ロッテ鳥谷敬内野手(40)

10月31日、現役引退を発表


11月3日、ZOZOマリンで引退会見。「鳥谷敬は今シーズンをもってユニホームを脱ぐ決断をしました」と切り出し、引退決断の理由を問われると「1番は今年1年間、チームのためになかなか貢献できなかった。そろそろ自分も辞めないといけないなと思っていた」と落ち着いた口調で振り返った。16年間プレーした阪神を19年限りで退団。引退を選ばず、20年3月にロッテに電撃入団した。出場機会が少なかったロッテでの日々について「人間として2年間、本当にたくさん勉強になった。あそこで辞めなくて良かったなと思う」

◆鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身。聖望学園3年夏に甲子園出場。早大2年春に東京6大学史上最速タイで3冠王に輝いた。03年ドラフト自由枠で阪神入団。04年9月からの1939試合連続出場はプロ野球2位、667試合連続フルイニング出場は遊撃手記録。17年9月に通算2000安打を達成した。19年限りで阪神を退団し、20年3月にロッテ入団。13年WBC日本代表。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞5度。180センチ、79キロ。右投げ左打ち

引退会見で唇をかみしめるロッテ鳥谷(撮影・菅敏)
引退会見で唇をかみしめるロッテ鳥谷(撮影・菅敏)

巨人亀井善行外野手(39)

10月21日、都内ホテルで会見を行い、今季限りで現役を引退することを表明。「1人で悩みました。家族にも5月に決めたときは怖くて言えなくて。本当に悩んだ。何て言うか…。妻には『今年でもしかしたら覚悟はしておいてくれ』とは伝えたんですけど、ちょっと濁した感じで。はっきりは言えなかったです」


10月23日、ヤクルト戦で引退試合。5点リードの5回1死満塁、菅野の代打で出場したが三ゴロに凡退。6回の守備で1度は慣れ親しんだ右翼についた後、原監督から交代を告げられ、坂本、原監督らと涙の抱擁でベンチに引き揚げた。尊敬する元マリナーズ・イチローのラストゲームと同じ演出に、スタンドから大きな拍手が起こった。引退セレモニーのあいさつでは、後輩に向け「尚輝(吉川)、ポジティブに頑張れよ。聖弥(松原)、あんたは天才だからもうちょっとだけ、頭を使っていけよ」とユーモアを交えるとスタンドは爆笑。オチには「きっしゃん(岸田)、お疲れ」と名前を挙げながらスルーし、また笑わせた。「勇人、あとは任した。3000安打を目標にして、頑張ってください」と託した


◆亀井善行(かめい・よしゆき)1982年(昭57)7月28日、奈良県生まれ。上宮太子では投手として3年のセンバツに出場(1回戦敗退)。中大入学後に野手転向。04年ドラフト4巡目で巨人入団。20年に年長3位の37歳1カ月で通算1000安打。今年3月26日DeNA戦で史上初の開幕戦代打サヨナラ本塁打。通算サヨナラ本塁打7本は巨人で王(8本)に次ぐ2位タイ。6月には年長4位タイの通算100本塁打。09年ゴールデングラブ賞受賞。09年WBC出場。13年に登録名を亀井義行から亀井善行に変更した。178センチ、82キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1億円

引退会見で時折、目に手をやる亀井(撮影・狩俣裕三)
引退会見で時折、目に手をやる亀井(撮影・狩俣裕三)
引退セレモニーで胴上げされる巨人亀井(撮影・山崎安昭)
引退セレモニーで胴上げされる巨人亀井(撮影・山崎安昭)

巨人大竹寛投手(38)

10月22日、現役引退を発表


10月24日、ヤクルト戦で引退試合。8回、サンタナに対し。サインに首を振り、伝家の宝刀シュートを投げ込んだ。最後はカウント2-2から139キロでバットを粉砕。遊ゴロに仕留めると、笑顔でグラブをぽんとたたいた。「マウンドに上がったらスイッチ入って、シュートシュートになっちゃって。投げると決めていたんですけど、まさか自分でも、あれだけ首振って…。でも投げ切れたと思います」。試合後は左翼付近で仲間から5度、胴上げされた。「一生の思い出ですね。あんなに気持ちいいものだとは思わなくて」


◆大竹寛(おおたけ・かん)1983年(昭58)5月21日、埼玉県生まれ。浦和学院2年夏に甲子園出場も登板なし。01年ドラフト1巡目で広島入団。13年オフにFAで巨人入り。14年に12球団勝利を達成。通算375試合で102勝101敗、防御率3・77。19年プレミア12日本代表。184センチ、96キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸4500万円

ヤクルト対巨人 現役最後の登板をした大竹は試合後にチームメートから胴上げされる(球団提供)
ヤクルト対巨人 現役最後の登板をした大竹は試合後にチームメートから胴上げされる(球団提供)

巨人野上亮磨投手(34)

10月26日、現役引退を発表


10月27日、ジャイアンツ球場で引退会見。「今は腕を振るのが怖い。それが大きいです。ケガばっかりだったので。ジャイアンツに申し訳ない気持ちです。ライオンズでは今、GMの(渡辺)久信さんにすごいお世話になった。感謝したい」。17年オフに巨人にFA移籍。19年10月に左アキレス腱(けん)を断裂。長期リハビリを経て、今季は605日ぶりに1軍に復帰した。4月27日ヤクルト戦では通算1000投球回を達成。5月に右肩痛を発症して離脱。妻で元モーニング娘。の石川梨華からは「『悔いがなかったらいいんじゃない』と奥さんには言われた」と夫婦、家族が納得しての決断だったと明かしたn


◆野上亮磨(のがみ・りょうま)1987年(昭62)6月15日、福岡県生まれ。神村学園で05年センバツ準優勝。日産自動車を経て、08年ドラフト2位で西武に入団。09年4月30日のソフトバンク戦でプロ初登板。13年に自身初の2ケタ勝利となる11勝を挙げた。17年3月に元モーニング娘。の石川梨華と結婚。17年オフに巨人にFA移籍した。177センチ、77キロ。右投げ右打ち。今季年俸3000万円(推定)

西武と巨人の色をイメージした花束を手に会見を終える巨人野上(撮影・河田真司)
西武と巨人の色をイメージした花束を手に会見を終える巨人野上(撮影・河田真司)

日本ハム斎藤佑樹投手(33)

10月1日、現役引退を発表。球団を通じて「今シーズン限りでの引退を決断致しました。ご期待に沿うような成績を残すことができませんでしたが、最後まで応援してくださったファンの方々、本当にありがとうございました。約11年間、北海道日本ハムファイターズで最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」とコメント


10月17日、引退会見。1番うれしかったことには、12年の開幕投手を栗山監督に指名されて務め、完投勝利したことを挙げた。「苦しかったことは…基本的に、苦しかったです」と苦笑い。今後については「今、自分が出来ることと、出来ないことと、やらなくちゃいけないことをしっかり考えて、まずはそれを知ってから先に進みたいと思います」と話した。会見終了後には笑顔で再び会見場に戻り、引退記念グッズである青色のハンカチタオル(税込500円)を取り出し、汗を拭くポーズを披露。報道陣からは拍手が送られた


同日、札幌ドームのオリックス戦で涙の引退試合。7回表に登板し福田に四球を与え降板。試合後のセレモニーで「斎藤は持っていると言われたこともありました。でも本当にもっていたらいい成績も残せたでしょうし、こんなにケガもしなかったはずです。ファンの皆さんも含めて僕が持っているのは最高の仲間です。皆さんと過ごした時間は僕の一生の宝物です。長い間本当にありがとうございました」とあいさつ


12月10日、「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げ



◆斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)1988年(昭63)6月6日、群馬県太田市生まれ。早実3年の06年、甲子園で春8強、夏は決勝引き分け再試合の末に駒大苫小牧を4-3で破り優勝。早大では100代目の主将を務め、リーグ通算31勝。10年ドラフト1位で日本ハム入団。通算成績は88試合に登板、15勝26敗、防御率4・34。176センチ、77キロ。右投げ右打ち

現役引退を発表し、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で取材に応じた日本ハム斎藤(21年10月1日代表撮影)
現役引退を発表し、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で取材に応じた日本ハム斎藤(21年10月1日代表撮影)
引退会見で神妙な表情の斎藤(撮影・黒川智章)
引退会見で神妙な表情の斎藤(撮影・黒川智章)
ハンカチで汗を拭き引退会見場を引き揚げる斎藤(撮影・黒川智章)
ハンカチで汗を拭き引退会見場を引き揚げる斎藤(撮影・黒川智章)
引退セレモニーでナインから胴上げされる斎藤佑樹(撮影・黒川智章)
引退セレモニーでナインから胴上げされる斎藤佑樹(撮影・黒川智章)

日本ハム鶴岡慎也捕手兼任コーチ(40)

12月13日、札幌ドームで引退会見。今季終了後の11月、球団から来季はコーチ専任での契約を打診されていたが、現役続行への気持ちが強く退団。新たな所属先を探していたが、他球団からのオファーが届かず引退を決めた。社会人野球の三菱重工横浜(現三菱重工East)から2度の入団テストをへて、02年ドラフト8巡目で日本ハム入団。13年オフにソフトバンクへFA移籍も、17年に再取得したFA権を行使して日本ハムに復帰した。ダルビッシュの女房役として活躍した姿が印象的で、今季、行ったファン投票で選ぶ「ファイターズレジェンドベストナイン」では、捕手部門で選出された


「ずっと現役選手を続ける道を模索していましたが、あらかじめ自分が設けていた期限も来て、気持ちが整理できました。今は、やり切った気持ちでいっぱい。今まで僕のサインにうなずいて、信頼して投げてくれた、すべての投手に感謝したい。その中でも今、パドレスで活躍しているダルビッシュ投手がいなければ、僕はここにいなかったと思うので、本当に彼には感謝しています」

引退会見を終え日本ハム田中SA(左)、中島(右)と記念撮影をする鶴岡(撮影・佐藤翔太)
引退会見を終え日本ハム田中SA(左)、中島(右)と記念撮影をする鶴岡(撮影・佐藤翔太)

日本ハム谷口雄也外野手(29)

10月25日に現役引退を発表。「11年間、北海道日本ハムファイターズでプレーができて、本当に幸せでした。大きなけがもあり長くは活躍出来ませんでしたが、たくさんのチャンスをくださった球団には感謝しています」

日本ハム谷口(20年・代表撮影)
日本ハム谷口(20年・代表撮影)

ソフトバンク長谷川勇也外野手(36)

10月8日、今季限りで現役を引退すると発表。06年の大学生・社会人ドラフト5巡目で専大からソフトバンクへ入団。13年には198安打、打率3割4分1厘で最多安打と首位打者のタイトルを獲得した。17年には海外フリーエージェント権(FA)を取得したが、ソフトバンク一筋で15年間の野球人生を走りぬいた。今季は主に代打の切り札として70試合に出場し、打率2割6分3厘、3本塁打、19打点。8月29日のオリックス戦から11打席連続無安打で、10月2日に出場選手登録を抹消されていた。「今は自分の技術を磨くことしか考えていない。どっぷりと野球をやる、それしかない」と語っていた打撃職人が、ユニホームを脱ぐ決意を固めた


10月21日の日本ハム戦で引退試合。0-0の7回1死二塁。「必殺仕事人」のテーマ曲が流れる中、代打で登場。一ゴロに頭から一塁に飛び込んだ。ガッツあふれるプレーが続く甲斐の先制2ランを呼び込み、ベンチで涙があふれた。試合後の引退セレモニーで、涙をこらえながらあいさつ。「順風満帆な野球人生ではなかったと思いましたが、今日1日を通して考えが変わりました。訂正します。長谷川勇也のプロ野球生活15年間は多くの方々に支えられ、順風満帆の野球人生でした」


◆長谷川勇也(はせがわ・ゆうや)1984年(昭59)12月22日生まれ、山形県出身。酒田南-専大をへて06年大学生・社会人ドラフト5巡目でソフトバンク入団。08年に1軍デビューし、13年には首位打者、最多安打のタイトルを獲得し、ベストナインにも輝いた。通算成績は1232試合で1108安打を放ち打率2割8分8厘、76本塁打、434打点。今季推定年俸7000万円。180センチ、86キロ。右投げ左打ち

ソフトバンク対日本ハム 7回裏ソフトバンク1死二塁、一ゴロで一塁にヘッドスライディングするもアウトとなり、悔しそうに叫ぶ長谷川(撮影・岩下翔太)
ソフトバンク対日本ハム 7回裏ソフトバンク1死二塁、一ゴロで一塁にヘッドスライディングするもアウトとなり、悔しそうに叫ぶ長谷川(撮影・岩下翔太)
引退セレモニーでナインに胴上げされ笑顔を見せる長谷川(撮影・岩下翔太)
引退セレモニーでナインに胴上げされ笑顔を見せる長谷川(撮影・岩下翔太)

ソフトバンク・デニス・サファテ投手(40)

11月30日、自身のツイッターを更新し、今季限りで現役を引退することを表明。「Today I have announced that I will retire from basebal」(原文まま)。日本語訳をすると「今日、私は野球を引退することを発表しました」。11年に広島へ入団。西武を経て、14年にソフトバンクへ移籍した。17年には日本新となる54セーブを挙げ、日本一に貢献。翌18年は右股関節手術の影響で6試合登板にとどまり、19年以降は1軍登板がなかった。今季が3年契約の最終年だった。通算427試合で27勝20敗、48ホールド、234セーブ。生涯防御率は1・57

ソフトバンク・サファテ(2017年4月2日撮影)
ソフトバンク・サファテ(2017年4月2日撮影)

ヤクルト雄平外野手(37)

9月29日、今季限りで現役を引退すると発表。1年目は27試合に登板し5勝を挙げたが、08年以降は登板数が減り、09年オフに野手に転向。11年には「高井」から「雄平」に登録名を変更。パンチ力のある打撃を磨き、14年からはレギュラーに定着。翌15年には、優勝マジック1で迎えた10月2日の阪神戦で、延長11回に右翼線へサヨナラ打。本人も「沢山の思い出がよみがえりますが、中でも2015年、サヨナラヒットで優勝を決めた事が、一番印象に残っています」


◆雄平(ゆうへい) 本名・高井雄平(たかい・ゆうへい)。1984年(昭59)6月25日、川崎市生まれ。東北で01年センバツ出場。02年ドラフトで2球団から1巡目指名を受け、ヤクルト入団。03年4月22日巨人戦で初出場し、6月11日巨人戦で初勝利。09年オフに外野手転向。11年から登録名を「雄平」に変更。14年は自己最多の23本塁打を放ち、ベストナイン。15年は10月2日阪神戦でリーグ優勝を決めるサヨナラ打。今季推定年俸7500万円。174センチ、83キロ。左投げ左打ち

引退試合を終えたヤクルト雄平は花束を手に笑顔を見せる(撮影・鈴木正章)
引退試合を終えたヤクルト雄平は花束を手に笑顔を見せる(撮影・鈴木正章)

阪神岩田稔投手(37)

9月30日、今季限りで現役引退することを発表。10月1日に会見が行われる。大阪桐蔭2年冬に発症した1型糖尿病と闘いながら、3年目の08年に10勝をマークするなど先発ローテを長年支えた。プロ16年間で通算200試合登板、60勝82敗、防御率3・38。09年3月にはWBC日本代表として世界一も経験した。現役生活を通して1型糖尿病の啓発活動に努めた功績も評価され、来季は球団内にポストを用意される可能性が高い


◆岩田稔(いわた・みのる)1983年(昭58)10月31日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭-関大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠で阪神入団。3年目の08年にプロ初勝利を含む10勝をあげ、09年WBC日本代表に。通算200試合登板で60勝82敗、防御率3・38。179センチ、95キロ。左投げ左打ち

現役引退の記者会見で涙を流す阪神岩田稔
現役引退の記者会見で涙を流す阪神岩田稔

阪神中田賢一投手(39)

9月29日、兵庫・西宮市内のホテルで引退会見。「本当にやり切ったなという思いが一番で17年間、幸せだったなと思っています」。「暴れ馬」の異名を取った最速153キロの直球を武器に、プロ17年間で通算100勝。中日、ソフトバンクでは計6度のリーグ制覇、6度の日本一に貢献。「走者をためてハラハラドキドキされるタイプの投手だったので、そういう思いをさせてしまったことを、この場を借りておわびしたいと思います。でも本当に温かい声援を頂いたので本当に感謝したいと思います」


◆中田賢一(なかた・けんいち)1982年(昭57)5月11日生まれ、福岡県出身。八幡-北九州市大を経て04年ドラフト2巡目で中日に入団。1年目から先発や中継ぎで活躍し、07年には自己最多の14勝を挙げた。13年オフにFA宣言し、ソフトバンクに移籍。18年8月26日の西武戦で、史上136人目の通算100勝を達成した。19年オフに無償トレードで阪神に移籍。今季2軍では13試合48イニングを投げて4勝3敗、防御率5・81。夫人は元ABC(朝日放送)アナウンサーで現在フリーの角野友紀(34)。181センチ、84キロ。右投げ右打ち

引退会見で涙を流す中田賢一
引退会見で涙を流す中田賢一

阪神桑原謙太朗投手(35)

9月20日、今季限りで現役を引退することを明かした。「肩肘ともに痛みとやっていく中で、どうしても思い通りにはいかず、つらく感じだしたのが一番の(引退の)理由」と語った。17年シーズンは勝利の方程式の一角として43HPを挙げ、最優秀中継ぎに選ばれた。「それまで何も活躍できず、金本監督に抜てきしていただいて。自分の中では精いっぱいやったというのがあの年だったかなと思います。自分の中でも上出来以上ですね」と当時を振り返った

◆桑原謙太朗(くわはら・けんたろう)1985年(昭60)10月29日、三重県生まれ。津田学園-奈良産大を経て、07年大学・社会人ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)入団。10年オフにオリックスへ移籍。14年オフにトレードで阪神移籍。17年に自己最多となる67試合に登板。43HPで最優秀中継ぎを受賞。今季は1軍戦7試合に登板し7失点。防御率9・00。通算242試合登板、15勝13敗78ホールド、防御率3・61。184センチ、86キロ。右投げ右打ち

9月25日の阪神対オリックス 9回表に登板し、オリックスから花束をもらう阪神桑原(撮影・滝沢美穂子)
9月25日の阪神対オリックス 9回表に登板し、オリックスから花束をもらう阪神桑原(撮影・滝沢美穂子)

阪神俊介外野手(34)

9月16日、今季限りでの引退を表明。「ここ1、2年考えることも増えた。最近になって(引退の)時期なのかなと思った。ここ2年肩の調子が悪くて、守備もろくにつけず、守備を抜かしてしまうと“野球”でない。広陵高校、近畿大学からタイガースに入って、12年間あっという間でした。自分なりに精いっぱいやってきたので悔いはないです」

◆俊介(本名・藤川俊介=ふじかわ・しゅんすけ)1987年(昭62)8月17日、福岡県生まれ。広陵1年夏、2年春に甲子園出場。近大では1年からレギュラーで5度のベストナイン、3年春にはMVPを受賞。09年ドラフト5位で阪神入団。チームに同姓の藤川球児がいたこともあり、11年に登録名を「俊介」に変更。今季1軍出場はなく、通算849試合出場、310安打、打率2割4分9厘、9本塁打、86打点、28盗塁。178センチ、77キロ。右投げ右打ち

9月25日、引退セレモニーでナインから胴上げされる俊介(代表撮影)
9月25日、引退セレモニーでナインから胴上げされる俊介(代表撮影)

中日山井大介投手(43)

9月30日、今季限りで現役引退すると発表。07年、日本ハムとの日本シリーズ第5戦では8回までパーフェクト投球を続け、岩瀬との完全試合リレー。チームを53年ぶりの日本一に導いた現役最年長投手が、20年間のユニホームに別れを告げる。「ドラゴンズ球団、歴代の監督、コーチ、スタッフ、自分に携わってくれたすべての人に感謝しています。ファンの皆さんのたくさんの声援のおかげでマウンド上では自分の持っている以上の力が出せたと思います。20年間、本当にありがとうございました」と球団を通してコメント


10月13日のヤクルト戦で引退試合。今季初先発で、1回に塩見からスライダーで空振り三振を奪って降板。「プロ野球生活の歴史に爪痕を少し残せたのかな。記録よりも記憶に残る選手と言ってもらえたことを誇りに思います。野球が好きです。大好きです。ドラゴンズが大好きです」


◆山井大介(やまい・だいすけ)1978年(昭53)5月10日生まれ、大阪府出身。神戸弘陵、奈良産大、河合楽器を経て01年ドラフト6巡目で中日入り。1年目の02年から31試合に登板し6勝をマーク。キレのある直球とスライダーを武器にした右腕は、主に先発として活躍。12年には56試合で4勝15セーブと救援に回って稼働した。13年6月28日のDeNA戦(横浜)では史上77人目のノーヒットノーランを達成。14年には自己最高の13勝をマークしたが、以降は徐々に成績も下がり、今季はここまで1軍登板の機会はなかった。通算成績は335試合に登板、62勝70敗20セーブ。今季推定年俸は2790万円。179センチ、86キロ、右投げ右打ち

中日対ヤクルト 引退セレモニーであいさつする山井(撮影・森本幸一)
中日対ヤクルト 引退セレモニーであいさつする山井(撮影・森本幸一)

中日藤井淳志外野手(40)

9月29日、今季限りで現役を引退すると発表。19年を最後にここ2年は1軍出場がなく、2軍生活が続いていた。ドラゴンズ一筋16年。現役生活に終止符を打つことを決断した藤井は「16年間、温かいご声援、本当にありがとうございました」と球団を通じて感謝を明かした


10月13日のヤクルト戦で引退試合。「1番右翼」で先発し、1回に見逃し三振に倒れて交代。「(プロ初打席が)デッドボールに始まり、見逃し三振に終わった16年間でしたが、中身は濃かったような気がします。後輩たちが最後まで笑わせてもらいました、と。それがぼくの野球人生を表しているのかな」


◆藤井淳志(ふじい・あつし)1981年(昭56)5月20日、生まれ。愛知県豊橋市出身。豊橋東-筑波大-NTT西日本を経て、05年大学・社会人ドラフト3巡目で中日入り。俊足好打の外野手として活躍。15年に国内フリーエージェント(FA)権を取得したが、行使せずに残留した。通算1093試合、打率2割6分2厘、45本塁打、273打点。183センチ、82キロ、右投げ両打ち

中日対ヤクルト 家族から花束を受け取る藤井(撮影・森本幸一)
中日対ヤクルト 家族から花束を受け取る藤井(撮影・森本幸一)

オリックス西浦颯大外野手(22)

9月24日に現役引退を発表。同28日の2軍広島戦で引退試合を行った。9回表、登場曲とともに背番号00で中堅の守備に就いた。打者へ1球目が投じられると守備から退き、ナインとハイタッチ。「ギリギリまで今日は泣かないだろうと思ってたけど、守備ついたらいろいろ思い出しちゃって」と目には涙も浮かべた。昨年11月に国指定の難病「両側特発性大腿骨頭壊死(だいたいこっとうえし)症」を公表。12月に左太もも、今年2月に右太ももの手術を受けた。今季は育成契約で、22年シーズンでの復帰を目指していたが、自身のインスタグラムに「病気が悪化し引退を決意しました」と引退理由を記した

◆西浦颯大(にしうら・はやと)1999年(平11)5月12日生まれ、熊本県出身。明徳義塾で甲子園出場し17年ドラフト6位でオリックス入り。1年目から1軍出場し3シーズンで128試合に出場し317打数61安打22打点3本塁打12盗塁、打率.192。178センチ、70キロ、右投げ左打ち

引退セレモニーで花束を受けた西浦(右端)はナインに別れを告げる(撮影・渦原淳)
引退セレモニーで花束を受けた西浦(右端)はナインに別れを告げる(撮影・渦原淳)

広島今村猛投手(30)

12月22日までに現役引退することを決めた。現役続行の意欲を示し、トライアウトを受けず、他球団からのオファーを待った。ただ、トライアウトから2週間がたっても連絡がないことから決断。「年内には(決めたい)と思っていた。仕方ないです。ズルズルいくわけにはいかない。これからの方が長いですから」。22日にマツダスタジアムを訪れ、松田球団オーナーに報告



DeNA中井大介内野手(31)

10月5日に球団から戦力外通告。同月8日、自身のインスタグラムで現役引退を発表。「自分の取り組みに対しては後悔などはなく、実力が及ばなかったと素直に受け止め、引退という選択をしようと決めました」とつづった。巨人から19年に移籍し、通算505試合で227安打、16本塁打、65打点、打率2割4分3厘。今季は12試合で14打数1安打だった


10月20日、古巣巨人戦で引退試合。代打で登場し安打を放った

DeNA対巨人 引退セレモニーで子どもから花束を受け取るDeNA中井(撮影・横山健太)
DeNA対巨人 引退セレモニーで子どもから花束を受け取るDeNA中井(撮影・横山健太)

DeNA武藤祐太投手(32)

10月5日に球団から戦力外通告。同15日、現役引退を発表。「このたび、2度目の戦力外となり、プレーヤーは引退することと決意いたしました。ドラゴンズ7年、ベイスターズ4年。良い思いや悔しい思い出、悲しい思い出。いろいろありましたが、何よりも満員のナゴヤドーム、横浜スタジアムで投げられたことはすごく幸せでした。悔いはないと言ったらうそになりますが、11年間突っ走ってきたつもりです。最後に応援していただいた関係者、スタッフの方々、そしてファンの皆さま本当にありがとうございました!」とコメントを発表。1軍通算成績は197試合で10勝9敗21ホールド、防御率4・25

DeNA武藤祐太(2021年2月27日撮影)
DeNA武藤祐太(2021年2月27日撮影)

楽天下水流昂外野手(33)

横浜-青学大を経て、ホンダから12年ドラフト4位で広島入り。16年には48試合に出場し、プロ初アーチを放つなど25年ぶりの優勝に貢献した。18年は主に代打で67試合に出場。勝負強い打撃でチームのリーグ3連覇を支えた。19年に楽天にトレード移籍。今季は10打数1安打で、7月に登録抹消されて以降は2軍調整が続いていた。プロ9年間で209試合の出場。打率2割3分7厘、81安打、12本塁打、42打点