現役最年長投手の中日山井大介投手(43)が現役引退を発表した。通算62勝を挙げた右腕といえば、07年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦だ。球界初のシリーズ完全試合を目前にしながら、8回にまさかの降板。9回は守護神岩瀬仁紀との「完全リレー」で日本一の栄冠をつかんだ。衝撃の交代劇の真実とは? 当時の担当記者が、シリーズ閉幕2日後に聞いた山井の言葉を明かした。【益田一弘】(後編は無料会員登録で読むことができます)

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「ええ、山井でいちめ~ん(1面)?」。左前方に座っていた一般紙の記者がすっとんきょうな声を上げた。07年11月1日、ナゴヤドーム。中日は日本ハムとの日本シリーズを戦っていた。3勝1敗で王手をかけた第5戦は、6回を終えて1―0とリード。その悲鳴を聞いて、焦っているのは、自分だけじゃないと気づいた。日本一が決まる試合で、完全試合が進行している。

中日山井大介(43)が、引退を表明した。10月7日の引退会見で挙げたのが、53年ぶりの日本一を決めた日本ハム戦。言わずと知れた山井―岩瀬の「完全リレー」だった。

記者は「奇跡」という言葉は極力使わないように心掛けてきた。記者生活22年でその表現を使ったのは2度。今年4月に白血病から復帰した競泳池江璃花子が東京五輪を決めたレース。そして14年前の夜、山井が見せたピッチングだった。

53年ぶり日本一の1面は、本来ならば、落合博満監督以外になかった。「オレ流」と呼ばれた異形の采配。野手は福留孝介、タイロン・ウッズ、立浪和義、森野将彦、荒木雅博、井端弘和、谷繁元信。投手もエース川上憲伸、中田賢一、山本昌、守護神岩瀬仁紀。育成選手からこの日本シリーズでMVPになった中村紀洋もいた。そんな選手をまとめ上げて日本一となれば、落合監督以外の選択肢はありえない。

29歳の山井は、先発陣の序列で5番手だった。エース川上、中田、朝倉健太、山本昌と続き、左腕小笠原孝と同じ位置。しかも相手は日本ハムのエース・ダルビッシュ。おいそれと点は取れない。第5戦は中日の分が悪いとみられていた。

山井が好投しても紙面で「肩」と呼ばれる中程度の記事(500字前後)がMAXと踏んだ。勝った場合はダルビッシュから打点を挙げた打者の扱いが大きくなる。投手担当だった記者は試合中盤まで山井を担当して、試合後は日本シリーズMVPに輝く中村紀洋の記事に取り掛かる算段だった。

山井は、最高の立ち上がりを見せた。初回は森本を遊ゴロ、田中賢を三振、稲葉を二ゴロに仕留めた。

打線は2回、19歳平田良介の犠牲フライで1点を先制。しかしその後はねじを巻き直したダルビッシュから得点を奪えなかった。

山井がどこまで持つか。宝刀スライダーは、生きもののように打者のバットを次々とかいくぐった。1人の走者も許さず、試合は緊迫したまま進んでいった。

5回にデスクから「このままいったら山井で1面」と指示が来た。記録担当部署から「ワールドシリーズでも1試合だけ。ただシリーズの決着がついた試合で完全試合はない」と追加情報。このままいったら世界初? 電話をとるたびに気持ちは焦り、耳をふさぎたくなった。一般紙記者の悲鳴を聞いて、少しだけ落ち着いたが、記事の内容に自信はなかった。

中24日。山井は登板さえ危ぶまれた状況だった。この日は10月7日横浜戦以来の1軍登板。セ・リーグで初採用されたクライマックスシリーズ(CS)は一度も投げていなかった。

落合中日は、徹底した情報統制を敷いていた。勝つために先発、けがなどの情報は秘匿。セ・リーグは予告先発が導入される前で、先発は試合直前のメンバー交代まで発表されない。そのため、各紙には「今日の先発予想」の欄があった。

当時、野球担当になると最初に言われるのが「今日の先発予想」を当てること。取材の第一歩であり、基本だった。中6日のローテーション、ブルペン調整のタイミング、登板前日の早上がり、誰かのささやき…。先発予想で同じ投手を2日連続で書くこと=新聞上の「連投」は恥とされた。前日の先発予想を間違えたこと、自らの取材不足を公表しているようなものだからだ。ただ発表されないとはいえ、「この投手が投げるから見にいこう」というファン心理もある。球団によっては、〝協力関係〟もあって、さほど外れないこともある。しかし落合監督はもちろん、なれ合いを拒否した。

04年の開幕投手に川崎憲次郎をサプライズ起用したように、中日の先発は読めなかった。双眼鏡を持って毎日、先発陣のダッシュ本数と距離をメモした。ブルペンの滞在時間を計り、投げた球数を推測した。しかしある投手はブルペンで時間をつぶして汗をかいたふりをして、ズボンの膝に砂をつけて出てくる。本当の先発を隠すための「ダミー」をベテラン山本昌でさえ実行した。遊撃手荒木が「おれらが予想しても当たらない」と笑い、先発のアナウンスに自軍のスコアラーが絶句することもあった。

新聞も逆手にとった。森繁和バッテリーチーフコーチは「スポーツ紙6紙の先発予想が割れれば、相手のチームは頭にいれるデータが増える。だから予想が割れるようにもっていく」。ある投手は「朝、投手陣で新聞の先発予想をチェックする。そこに名前がある人間はダミーの動きをする。加えて相手球団がどの投手を先発有力と予想しているかもわかる。日本ハムなら北海道の地元紙を見る」。

山井―岩瀬が「完全リレー」をする試合3時間前。外野で山井、エース川上、中継ぎ左腕久本祐一が先発調整していた。久本に先発予定はなかった。ただ1紙の先発予想に名前があったために「ダミー」をした。

山井は、10月のCS期間中に右肩痛を再発していたが、その事実は隠された。報道陣の前を通ることもほぼなく、先発5番手。そもそもちゃんと投げられるのかどうかも不明だった。

五里霧中。徹底した情報統制によって、CSでは新聞上で「山井3連投」という仰天予想も生まれた。中日は阪神とのCS第1ステージを川上、中田で連勝突破。日本シリーズをかけて、巨人と5試合制のCS第2ステージに臨んでいた。巨人との第1戦にエース川上を起用すると、中4日と苦しい登板間隔だった。

スポーツ紙6紙はすべて先発予想を山井とした。この時点で山井が肩を痛めていたことは、外に漏れてない。試合直前にメンバー交換が行われると、先発は中3日の左腕小笠原。原監督がベンチに戻る途中で左腕をふるって、先発が「左」であることを示した。巨人ベンチで篠塚打撃コーチが「めちゃくちゃだな」と天を仰いだ。巨人打線は右腕を予想して、左打者6人(投手内海を除く)を並べていた。「奇襲先発」の小笠原は5回1失点で勝利した。

問題は小笠原発表の後だ。先発予想は午後7時には会社に報告する。ナイターゲームで小笠原が投げている最中に、第2戦の予想を決めなければならない。

選択肢は2つ。

この日投げなかった山井か、中5日のエース川上か。

記者は川上を選択した。翌朝、恐る恐る各紙を開くと、2紙が川上、4紙が山井だった。巨人担当から「試合前の原監督が『おれはニッカンを信じる』といってたよ」と明るい声で言われた。暗たんたる気持ちになったが、先発は川上。川上が勝って、中日は日本シリーズに王手をかけた。

問題は第3戦の予想だった。川上が投げている最中に決める必要がある。

選択肢は2つ。

この日投げなかった山井か、中5日の中田か。

2日間投げていない段階で、山井に何らかのアクシデントが推測された。翌日の予想は5紙が中田、1紙が山井。1紙は、新聞の上で「山井3連投」という異例の事態となった。先発は中田。中日は3連勝して、CSを突破した。

第4戦はなかったが、問題は残っていた。中田が投げている最中に、第4戦の予想が必要になる。

選択肢は2つ。

この日投げなかった山井か、右腕朝倉健太か。

試合後にふと気になって、「山井3連投」を唯一予想した記者に、幻の第4戦先発予想を聞いた。その記者は「明日も山井。山井が投げるまで、来年のオープン戦まで、ずっと山井」と投げやりに言った。裏の裏は表で、どっちが表か、わからなくなる。同じ中日担当記者として、その気持ちは痛いほどわかった。

投げるかどうか、わからない山井の取材は進まなかった。完全試合、しかも53年ぶり日本一の1面にふさわしい話などなかった。

8回、山井は4番セギノールからの攻撃を3者凡退で仕留めた。9回は7番金子誠からの下位打線。もう完全試合は目の前だった。内容はともかく書くしかない。「どうにでもなれ」とパソコンに向かった。

8回裏、中日の攻撃が2アウトになった時だった。右前方の記者から「おい!」と声をかけられ、その指がさしているほうに目を向けた。一塁側ベンチ前がぽっかり空いていた。9回に備えて、肩慣らしのキャッチボールをするはずの山井が出てこない。

それが意味することはひとつしかない。

まさか交代―。

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