パ・リーグの優勝戦線を決定づける大一番で、オリックス宮城大弥投手(20)ロッテ佐々木朗希投手(19)が対決した。01年生まれ世代の活躍を、天国からきっと温かく見守る人がいる。日本高野連の元事務局長で、19年に64歳で亡くなった故竹中雅彦さん。同年の高校日本代表の韓国遠征で数週間をともに過ごした。2人とも竹中さんが願っていたような、球界の新時代を切り開くような存在になりつつある。

   ◇   ◇   ◇

佐々木朗希は岩手で育ち、宮城大弥は沖縄で育った。1930キロ。遠く離れた環境でも、通じ合うものが多かったのだろうか。19年夏。ともに高校日本代表に正式に選ばれると、2人の距離は一気に縮まった。

「見た通りの、柔らかい感じで、本当にいいキャラクターというか、いい存在だと思います」

身長差約20センチ。そんなことは気にもせず笑い合いながら歩いている姿を、何度も目撃されている。

「あのコンビ、ほんま仲良しだよねぇ。2人ともすごい投手になる」

いつものように表情を柔らかくし、竹中雅彦さんもうれしそうに話していた。当時、日本高野連の事務局長として韓国・機張(キジャン)で行われたU18W杯遠征に同行した。日韓情勢が悪化し、釜山(プサン)の日本総領事館前は厳戒態勢になったほど。移動に際しても強い配慮が必要な状況を懸命に切り盛りした。

気軽に出歩けない異国での日々。9月4日に焼き肉店で企画した決起集会も、選手たちに大いに喜ばれた。佐々木朗と宮城はその時も隣り合い、カメラマンのリクエストで宮城が佐々木朗に「あーん」で食べさせる一幕もあった。優しく愉快な人柄で、高校生たちに信頼されていた。

韓国戦で先発の佐々木朗が血マメをつぶして1回で投手交代になった。何があったのか? 報道陣にも優しい竹中さんは、球場の外で好きなタバコを吸いながらも、その時だけは「それはちょっとね、今はやめとこう」と口を閉ざした。

高校卒業後、彼らの未来を見守るはずだった。それが。成田空港での解散が永遠の別れになった。帰国から2カ月、間質性肺炎のため64歳で他界。2人やヤクルト奥川ら、かわいがった若者たちの進路を知らぬまま、ドラフト会議前夜に旅立った。すごい投手に-。大舞台で投げ合い、予言は早くも大正解になりそうだ。明日16日、竹中さんの命日を迎える。【金子真仁】