20歳の飛躍を誓うロッテ佐々木朗希投手(20)には、別の世界で頂を目指す“旧友”がいる。佐々木塁さん(20=青学大2年)。昨年7月下旬、剛腕にとって懐かしの名前を出すと、笑顔でうなずいた。

塁さんは新年から話題をさらった青学大陸上部に所属し「箱根駅伝の出走が目標です」と鍛えている。生まれは岩手・陸前高田市。小3で少年野球を始め、同時期に同じ「高田スポーツ少年団」に入ったのが朗希少年だった。「すごく野球がうまくて。友達みんなで家にも遊びに行ったりしましたね」。

11年3月、東日本大震災が運命を変えた。「何が起こったか、脳で処理しきれないというか。あまり細かく覚えていないんです」。必死で高台に逃げた。野球が大好きで「塁」の名を付けてくれた父敏行さんら家族を亡くした。家も流された。同じように悲しみに暮れた朗希少年とは言葉も交わせず、それぞれ故郷を離れることになった。「突然のことで、覚悟ができないまま離ればなれに」。以後、2人のR・SASAKIは会っていない。

塁少年は母の故郷盛岡に転居後も野球を続け、河南中からは陸上に挑戦。いきなり1500メートルの中学1年日本記録4分4秒00をたたき出した。「野球の冬練でも結構走るのが好きだったので」と夢中になった。盛岡一高時代には、練習試合で自校を訪れた背の高い旧友を遠目に発見。「とてもすごいし、自分もそうなれるように」と励みにした。青学大では1万メートルで自己ベスト29分13秒65にまで成長。「28分台ぞろい」と話題になった強豪で強力なライバルと高め合い、残り2度のチャンスを狙う。9日の盛岡市の成人式も「大会が近いので」と欠席し、今年に思いをぶつける。

昨年は練習の合間に、シーズン後半戦やCSの投球をテレビ観戦した。「いつかメジャーで、大谷選手のように大活躍してほしいです。自分もいつか日本代表になれるように、朗希君に負けないように頑張りたいです」。奇跡的に隣り合っていた強烈な才能同士が、いつか日の丸の舞台で再会する未来も-。決して夢物語ではない。【金子真仁】