元西鉄ライオンズ投手の池永正明氏が死去したことが26日、分かった。76歳。65年の入団から、70年までプロ通算103勝65敗、防御率は2・36。1970年に八百長疑惑「黒い霧事件」により、永久失格処分を受け、05年4月25日に処分を解除された。

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しわがれて、低いトーンの声だった。「こんなに重かったのかなあ」。07年秋。「鉄腕」と呼ばれた元西鉄の大エース稲尾和久さんがこの世を去った。葬儀に参列した池永さんはひつぎをかついだ。西鉄時代の恩師であり、投手として憧れの人でもあった。入院から2週間あまりの急逝。球界の永久追放処分から復権まで、親身になって支えてくれた恩人の死に向かい、池永さんの落胆は大きかったように思う。マスターズリーグで背番号「20」を背負い、福岡ドンタクズで博多のマウンドに「復帰」させてくれたのも稲尾さんだった。

「今のホークスには厳しさが足らないのじゃないんか? 甘いこと言うたらいかんよ。もっと厳しくやらないといかん」。08年の暮れだったか。池永さんが経営する福岡・中洲のお店でそう言われたのが懐かしい。ライオンズOBながらホークスが最下位に沈んだシーズンの悔しさをぶつけてくれた。ライオンズでデビューし、新人王に輝くなど将来を嘱望されながら「栄光」は突然に途切れた野球人生。それでも「野球眼」には鋭いまなざしがあった。博多の野球人だった。【佐竹英治】