長らく南海(現ソフトバンク)の主砲として活躍し、プロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳だった。

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歴戦の大投手たちと名人芸を競ってきた門田さんが、最後のライバルに選んだのが野茂英雄だった。89年ドラフトで、8球団強豪の末に近鉄へ入団したアマ球界最高の逸材。当時オリックスの門田さんは、関係者にそれとなく取材をかけた。誰にどう尋ねても「すごい投手です」と答えが返ってくる。不惑を過ぎた大打者は、心に決めた。

「野茂からの最初のホームランは、絶対に俺が打ってやる」

同年オフから翌90年にかけ、例年にも増してトレーニングを積んだ。ゴルフ場を借り切り、41歳は酷寒の中を走りに走った。雪の舞う中を上半身裸で、そしてはだしで駆けたこともある。野茂の投球をビデオで徹底研究。直球を投げるときと、フォークボールの場合の、違いは何か。キャンプ地、沖縄・糸満の宿舎の部屋に機材を持ち込み、1日2時間ビデオを回した。いくら見ても、全く区別がつかない。半ばやけになって、ビールを飲みながら見たときだ。癖は見つかった。

「投げ始めるとき、尻の横からボールの縫い目が見えたらフォークや」

野茂からの1号に、大きな自信が芽生えた瞬間だった。

問題はここからだ。門田さんの前に他の打者が打ってしまえば、全ては水の泡である。野茂のプロ初登板は90年4月10日、藤井寺での西武戦。当時の西武は、秋山幸二、清原和博、デストラーデの超強力打線でパ・リーグを席巻していた。誰が本塁打を打ってもおかしくない。同じ日にダイエー(現ソフトバンク)戦に出場し、通算1500打点を達成して花束を受け取りながらも、門田さんは気が気ではなかった。

「野茂よ、ホームランだけは打たれるな。西武の打者よ、ホームランだけは打つな-」

祈りは天に通じた。野茂は6回5失点と乱れながらも、本塁打だけは許さなかった。

そして4月18日、日生球場での近鉄戦を迎えた。「4番DH」の門田さんは、今度はこう祈る番だ。「オリックスの仲間よ、ホームランだけは打つな」。1回表、野茂に松永浩美、弓岡敬二郎、そしてブーマーの3人が連続三振に倒れた。祈りは、またも通じた。

2回表。半年がかりで待ち焦がれたあの野茂が、ついに目の前に現れた。球界を代表するレジェンドに、黄金ルーキーが挑んでくる。初球はストレートという確信があった。野茂が投球動作に入った。ボールの縫い目は見えない。真っすぐだ! 日生球場のライトスタンドに、豪快な一打をたたき込んだ。万感の思いでベースを1周すると、野茂は帽子を取って悔しがっていた。

「ホームランは、狙って打つ」。かつて王貞治氏や恩師の野村克也氏に言い放った哲学が、鮮やかに実った名場面だった。【90年オリックス担当=高野勲】

【写真特集】門田博光さん死去、74歳 歴代3位567本塁打 南海、オリックス、ダイエーで活躍