「第一義」を胸に-。3月のWBCへ向け、侍ジャパンは17日から宮崎で強化合宿を行う。パドレス・ダルビッシュ有投手(36)が初日から参加することが決定。史上最強チームの声も挙がる代表が結成された。世界一奪還を掲げる栗山英樹監督(61)は、どんな思いで合宿に臨み、30人の侍たちと向き合うのか。心中を語った。【取材・構成=古川真弥】

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栗山監督は30人に何を求めているのか。1月6日に先行して12人を発表した際、選考理由を問われると力を込めて言った。

「第一義は、侍の魂を持っているかどうか」

「第一義」とは、最も根本となる一番大切なことの意。指揮官は「いい言葉だよね」と3文字に引きつけられた。同じような人物が500年近く前、越後(現新潟)にいた。上杉謙信だ。戦国屈指の戦上手は、その言葉を座右の銘とした。

栗山監督 「第一義」って無意識に使ったんだけど、あの時、自分の体の中に入っていた。

上杉謙信を強く意識した時期があったという。

栗山監督 織田信長も、上杉謙信も(数え年)49で亡くなっている。実は49から50になる時、すごく、それを意識した。「俺、死んじゃうのかなあ」て。人って、それぐらいの年齢で死ぬんだという。

人生には限りがある。真理を再認識した後、50歳で日本ハムの監督に就いた。そして、今は侍ジャパンを率いる。国盗り物語さながら、世界の強国とぶつかり合う身に上杉謙信の生きざまが響く。

栗山監督 自分は毘沙門天(びしゃもんてん)の生まれ変わりだと思うぐらい勝負にこだわった。それも自分からは絶対に攻め込まず、義がなければ戦わなかった。そういう日本の大先輩がいてくれて、我々が生きていく道筋を示してくれた。そういう人に少しでも近づきたいと思うのは、すごく重要なことだと思う。

だから、自然と「第一義」という言葉が出た。

栗山監督 大義は、ファイターズの監督と侍ジャパンの監督では意味が違う。取り違えないよう、真っすぐ進まなければいけない。

真っすぐ、世界一奪還へ。そのために考え抜き、選んだ30人だ。いよいよ始まる宮崎合宿。「最初の言葉は大事」と考えを巡らせている。選手たちへの第一声は何を? 質問に対し、おもむろに歌い始めた。

栗山監督 き~み~がぁ~よぉ~は~♪ 国歌、歌ってみようかな。いや、歌わないけど。

いたずらっぽく笑って撤回したが、真意はこうだ。

栗山監督 国粋主義とか、そういうことじゃなくて。日本人が培ってきた良さの中に日の丸や国歌も入ってる気がする。(WBCは)自分の哲学、生きざま、価値観との勝負でもある。日本の野球人が今まで培ってくれたものに感謝して、日本の野球の質の高さ、緻密さは世界一なんだと示す戦いなんで。そういったものを、みんなで表現したい。

代表初陣となった昨年11月の強化試合。最初に選手たちに伝えたのは「このチーム、イコール日本代表ではないんです。あなたが日本代表なんです」だった。今回も同じ思いを抱く。

栗山監督 自分そのものが日本代表の全てだという責任と覚悟を持てば、どう行動し、どうプレーし、どう生きていくかは、おのずと決まる。そのことをもって、次の世代にも、先輩方に感謝して野球ができるということを伝えて欲しい。

合宿では、全員にバントやエンドランの練習を課すつもり。30人を一致させ、描く青写真とは-。

栗山監督 ファンにすごく喜んでもらって、最後に一緒になってガッツポーズする。そのイメージだけを持ってやっていきたい。

上杉謙信は生涯70ほどの合戦に出陣し、負け戦は2つのみとも伝わる。「軍神」のように義を掲げ、勝ち名乗りを上げる。

◆上杉謙信(うえすぎ・けんしん)1530年(享禄3)、越後(新潟)守護代の長尾家に生まれた戦国大名。幼名は虎千代、元服して景虎。兄らを破って越後を統一し、後に上杉家から関東管領職を継承。41歳で謙信を名乗る。武田信玄とは川中島で5度に及ぶ名勝負を繰り広げた。領土を越中(富山)、織田信長勢にも勝って能登、加賀(ともに石川)まで広げたが49歳で病没。主な家臣は、養子から家督を継いだ上杉景勝、猛将で知られた柿崎景家ら。愛用の太刀「山鳥毛」は国宝指定。

◆第一義 上杉謙信が悟りをひらくきっかけとなった言葉。「人の宝とすべきものは物ではなく、物を超えた心であり、思いやりの心である」という意味。謙信は自らも幼少期を過ごし、上杉家の菩提(ぼだい)寺である林泉寺(新潟・上越市)に山門を建立した際、直筆による「第一義」の扁額(へんがく)を掲げた。