「白球は1つ」と題し、森本稀哲氏(元日本ハム外野手)の半生を送ります。野球に魅入られ、国籍を日本に変えても「在日韓国人」として人生をささげる。さまざまなハードルを飛び越えた先で見るモノとは―。

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凜(りん)とした空気は、のどかな昼下がりの横浜には少し似合わなかった。

ツーピースのスーツで現れた森本は、喫茶店のいすに頼らず、ピンと背を伸ばして取材を通した。現役時代にファンを魅了した明るさはない。じっと目を見て、努めて淡々と切り出した。

「僕は、何回か名前が変わっているんです。保育園の時は森本だったのかな? 小学校は森本で入って、途中で李になったのかな。中学校は李。野球のときは森本。名前はね、稀哲って『ひちょり』ではなく『ひちょる』なんです。だから、李ひちょる。韓国語って、発音の関係で崩した呼び方があって。そのまま名前で使っています」

森本と李。2つの名前は本人の意思というよりも、親の葛藤の歴史だった。「おじいちゃん、おばあさんが韓国で生まれ、両親は日本で。僕は3世。家族での話し合いもありましたね。『韓国人でちゃんといこう』とか」。森本は朝鮮学校に入学し、1年で転校している。父は朝鮮大学を卒業している。わが子にとってのベストとは何なのか。全員で模索していた。(つづく)

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連載〈1〉 野球に出会ったのは小学4年「差別する人はいなかった」

連載〈2〉「日本でも、韓国でもない、在日韓国人として」生きていく

連載〈3〉「国境を超えた」と思った国籍変更、願う夢は

連載〈4〉炎上したとしても「信念があればいい。自分がどうするか」