<中日2-2阪神>◇24日◇ナゴヤドーム

 あのプレーがなかったら、激闘は演じずに済んだかも知れない。痛恨のワンプレーを今岡は反省した。延長12回ドローを戦い終えたベンチ裏で、ひたすら自分を責めていた。

 「打球は強かったけど、何とか前で止めないといけなかった」

 地をはうゴロに、体勢が半身になってしまった。2点をリードした6回裏1死一塁。ウッズの強烈な当たりが正面に飛んできたが、止められなかった。打球を避けたようにも映る、体とグラブの動きだった。

 記録は安打となったが、併殺でチェンジ、悪くとも前にはじいていれば2死にすることはできた。結果は1死のまま一、三塁となり森野の犠飛と中村紀の同点打を招いてしまった。逆転されなかったことがせめてもの救いだが、その後の攻撃で切なさも味わった。

 「バッター今岡に代わり桧山」。追いつかれた直後の7回表。2死満塁と攻め立てたところで代打を送られた。打者今岡への代打策は04年8月31日中日戦以来、4年ぶり。当時は直前の守備で左肩を痛めるアクシデントが原因だった。

 岡田監督は「あそこは勝負よ。投手を代えてくるのも分かっていたし、新井が(敬遠四球で)出た時点で決めていた。(復調とか)言っていられないからな」と説明した。投手が右腕平井に交代するのを確認して、代打桧山を選択した。

 打撃不振からの脱却を期して、この日も今岡を先発で起用していた。だが1回、3回と得点圏に走者を置いて外野フライ。5回2死一塁でも空振り三振に倒れた悩める大砲に、勝負を託すことはできなかった。

 23日の2戦目に13打席ぶりの安打を放った。これが決勝適時打となり、重圧から抜け出たはずだった。「(前日に)続いて1本打てればよかったけど、しかたがないです」。守りでもチームの足を引っ張る格好となり、立つ瀬がなかった。【町田達彦】