プロ野球、近鉄の名物オーナーだった上山善紀氏(うえやま・よしのり=元近畿日本鉄道会長)が25日午後11時25分、肺炎のため大阪市の病院で死去していた。94歳。新潟県出身。葬儀・告別式は近親者ですませた。後日、社葬を行うが、日取りなどは未定。

 新潟高、京都帝国大(現京都大)を卒業後、日魯漁業(現マルハニチロホールディングス)を経て45年、近畿日本鉄道に入社。81年に社長に就任。87年から94年までは会長を務めた。

 近鉄では81年からオーナー代行を務め、仰木監督のもと優勝した89年オフ、佐伯勇の死去に伴いオーナー就任。以後鈴木、佐々木監督を支え、98年3月まで同職を務めた。大の野球好きで知られ、オーナー在任期間は故郷新潟で主催公式戦を開催した。95年に野茂の大リーグ挑戦を認め、97年には本拠地の大阪ドーム移転を実行した。

 歯に衣(きぬ)着せぬオーナーとしても知られた。96年には81歳の高齢でサイパンキャンプを視察。低迷していたチームに「優勝したら私が逆立ちして歌うで」とゲキを飛ばした。97年オフには大型補強した巨人について「補強しても勝てなかった」と批判した。

 球団経営は毎年赤字だったが存続への情熱は熱く、元近鉄関係者は「上山さんがオーナーでなければ、もっと早く球団を手放していたかもしれない」と話した。04年にオリックスと統合しての近鉄消滅を深く悲しんでいたという。

 [2009年8月28日8時50分

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