右肩故障からの復活を目指すソフトバンク新垣渚投手(31)が、宝刀スライダーを捨てた。現在2軍戦で順調に実戦を重ねている。今季は9連戦も3度控える過密日程。09年5月以来となる1軍戦復帰も現実味を帯び始めてきた。自らの代名詞ともいえるスライダーを投げない理由や現状を新垣が激白した。

 蒸し暑い西戸崎室内練習場で26日、新垣は気持ちよさそうに汗を流していた。投げられる喜びを体で表現しているようだった。昨年まで硬さが見られた投球フォームに変化の跡がある。ゆっくりと足を上げ、力みなく球をリリースしている。ただ、最大の変化は宝刀を捨てたことだ。65球を投げた。球種は直球、フォークボール、カーブ、カットボール、ツーシーム。新垣の代名詞、切れ味抜群のスライダーは消えていた。

 「フォークもあるし、ツーシームもある。スライダーは小さな変化(カットボール)のものでいい。それでいいんです」。

 新垣と言えば、スライダーだった。全盛期には最速150キロを超えた直球も魅力だが、打者には「あのスライダーは分かっていても打てない」と言わしめた。だが、もう1度、あのマウンドに。最大の武器をあきらめた背景にあるのは、その一心だけだ。

 「自分にとっては痛みが一番のストレスなんです。スライダーを投げようとして大きく切る(回転をかける動作)と肩が引っ張られて痛みの原因になる。今の球(カットボール)は『ちょいスラ』。小さく切っている。負担が小さいから痛みがこない。ストレスをかけないこと。もう投げてないですよ、スライダーは」。

 この2年間、痛みとの戦いだった。1軍最後の登板は09年5月9日西武戦。3回途中5失点KO。そこから通算53勝右腕の歯車はかみ合わなくなった。同年6月25日の2軍戦登板で右肩が悲鳴をあげ、1カ月のノースローでも痛みが治まらない。同年7月20日に病院で検査すると、炎症が確認された。そこから約10日後。再検査で、右肩関節炎が発覚。手術の道は選ばなかった。「リハビリしながら投げられるようになれば」。ボールを握ることをあきらめられなかった。だが右肩をかばおうとした昨年、腰痛に襲われた。1カ月以上も間隔をあけるなど、2軍戦10試合に投げるのがやっとだった。

 「中9日とか中10日ですけど、投げられるようになった。ここまで来られた。もう、今の状態を下げることはできない。この状態を上げていけば、自分はまだ投げられる。きっと、いいパフォーマンスが見せられると思っています」。

 1軍は今季9連戦が3度あるタイト日程。大隣や巽が先発補強の候補として名が挙がるが「登板→期間があくため登録抹消」というパターンでいけば、新垣の名前も入ってくる。すでにウエスタン・リーグで8試合に登板(中継ぎ2試合)。4勝2敗で防御率3・11の結果を残し、球速も最速148キロを計測している。

 「1軍で9連戦があるのは分かってますよ」。

 そう語る表情は、柔和なものだった。力みすぎてはいない。だが、決して夢も忘れてはいない。現実的にいけば、球宴前の9連戦は厳しいだろう。ただ、復調の道をたどれば、その先に大観衆のマウンドが待っているはずだ。【取材・構成=松井周治】