日本ハム村田和哉外野手(26)が23日、切望していた心温まるプランを実現させた。3月の東日本大震災で被害を受けた宮城県内の各所を、単身で訪問。復興支援の一環で野球教室を開催して、まだ震災の爪痕が残る現状を視察した。震災直後に今季年俸1050万円から100万円の寄付をするなどシーズン中から気に掛けてきたが、ようやく気持ちの整理をつけて来季へと向かう。

 東京から早朝の新幹線へと乗り込み、日帰りの強行軍で宮城へと向かった。周囲のサポートもあって向かった先は、津波の被害が大きかった宮城の沿岸部。「野球選手ではなく、人として行きたかった」の思いからの行動だった。初めて足を踏み入れたが、想像を超えていた。2軍時代の遠征でお世話になった南三陸町のホテル周辺は「覚えていた景色が全然、違っていた。何もなかった…」。

 石巻にある二俣小学校では地元NPO法人・石巻スポーツ振興サポートセンターの協力を得て少年野球4チーム計58人と、たった1人で触れ合った。「僕でも喜んでもらえた。まして2軍選手の僕なんかで、歓迎していただいた」。純粋で真っすぐなパワーに感動し、逆にエネルギーをもらった。オフだからこそのかけがえのない体験をした。今後の野球人生にかける思いは、強くなった。

 村田

 せっかくプロ野球選手になったので、もっと社会に貢献していきたい。

 5年目の来季。ブレークしなければいけない理由ができた。