<巨人4-2中日>◇6月30日◇東京ドーム

 巨人が盤石の救援陣で逃げ切り、竜の首根っこをとらえた。本拠地に中日を迎えた首位攻防第2ラウンドは、1回に4点を先制し主導権を奪取。追加点は奪えなかったが、7回から山口鉄也(Y)-西村健太朗(K)-スコット・マシソン(S)の3投手をつぎ込む自慢の継投を成功させた。エース杉内を6回で降板させる決断も、5月以降は救援陣の黒星なしと万全だからこそ。1位中日とのゲーム差はなし。さあ、今日1日の第3戦に勝って、今季2度目の首位取りだ。

 原辰徳監督(53)が迷わず決断した。2点リード、6回2死二塁の攻撃。先発杉内は打席に向かう準備を整えていた。だが、打席に送ったのは代打・矢野だった。「7回が勝負。山口でいく」。ハーラートップ、ノーヒッターの左腕を99球で代える。山口を筆頭としたブルペンの3人がいるからこそ、可能な選択肢だった。

 勝負の7回。帽子を目深に山口がマウンドへ駆けた。今季1失点。34試合目のマウンドだった。「僕はターミネーターじゃない。でも今、体の状態は非常にいい。阿部さん目がけて投げるだけ」と、何も変える必要はなかった。右打者に細心の注意を払った。荒木の初球、内角143キロ。和田の2球目、内角141キロ。ともにボールだったが、阿部のミットは動かなかった。懐を起こしてから簡単に仕留め、後続に託した。

 不死身の男・山口。安定感の源には、超一流の思考回路がある。「ブルペンではバラつくんですが。アメリカ時代もコントロールいい方じゃなかった」と不思議がるが、1つ決めごとがある。

 山口

 右バッターの内角だけは、絶対に失敗しない。長打になる。腕を強く振ることより、阿部さんの構えた「その場所」に投げる意識を、より強く持つ。腕の振りが多少、弱くなっても、そっち優先ですね。

 わざと内角へ、ボール球を投げ切る。「最後まで、的をよく見ることです。視力は悪くてコンタクトですけどね」と加えた。今季投じた全526球中、ストライクは352球。ストライク率は67%だが、与四球が2個しかない。この制球精度が防御率0・24の原動力だ。

 前夜1回2/3を投げた山口を投入した原監督は「継投は今日の感じ。山口は抑えのマシソンと同格。健太朗がセットアッパーでいてくれるのは、非常に安定感が出る」と揺るがぬ信頼を強調。背景には「まず先手を奪う。奪っても手を休めず、先、先と手を打っていく」という、先人の兵法を学んで得た勝負哲学があった。

 原監督

 兵法は数多くある。何が一番、ではない。ただ大切な事がある。手を打つときはリスクが生じる。そこで積極的になれるか。責任は、ベンチが負う。

 1回に4点の先手を奪った時点で、「守りながら攻める」シナリオを描いた。杉内降板でもリスクなど生じない。山口、西村、マシソン。3人がいるから、腹をくくって手が打てた。リードの終盤を迷いなく託す。堅いブルペンで首位を奪い返す。【宮下敬至】

 ◆救援陣の主なネーミング

 93年に巨人長嶋監督が中継ぎ橋本、抑え石毛の継投を銘打った「勝利の方程式」は、救援陣の代名詞として一般化した。Jリーグ開幕元年の同年、西武鹿取、杉山、潮崎は「サンフレッチェ」とも。96年日本シリーズ前、巨人長嶋監督は河野、宮本、川口、阿波野の左腕を「レフティーズ」と呼んだ。05年阪神藤川、ジェフ・ウィリアムス、久保田を「JFK」と本紙レイアウト担当の松岡記者が命名。同年日本シリーズで阪神と対戦したロッテには薮田、藤田、小林雅の「YFK」がいた。06年日本ハムの武田久とマイケルは「HAM(Hisashi

 and

 Micheal)の方程式」、09年ソフトバンク摂津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原はソフトバンクモバイルと重ね「SBM」と呼ばれた。