<広島1-2阪神>◇9月30日◇マツダスタジアム

 ありがとう、タクロー。広島石井琢朗内野手(42)が9月30日、本拠地マツダスタジアムでの「引退試合」に臨んだ。昨年6月1日楽天戦以来の、慣れ親しんだ「1番遊撃」でスタメン出場。1打席目で左前打を放つと、4打席目には通算2432本目、現役最後の安打となった右前打を泣きながら打った。守備でも熟練の技を披露。今季最多3万2095人が集まった本拠地で、地元のファンに最後の勇姿をみせた。

 慣れ親しんだ場所で輝いた。1回裏、タクローコールを浴びながら、1打席目でいきなり左前打。4打席目にはメッセンジャーの149キロを引っ張る、衰えを感じさせない右前打でファンをわかせた。一塁塁上では目に光るものがあった。遊撃の守備でも2度のゴロを、派手さはなくとも確実にさばき、石井らしさを出し切った。

 石井

 思うように花は咲かせられませんでしたが、このような花道に立て、今日はみなさんに咲かせてもらったと思います。

 横浜に在籍した20年間で2307本の安打を積み上げ、98年には「マシンガン打線」の先頭打者として日本一に貢献。名球会入りしたバットマンが08年に戦力外となると広島が手を挙げた。松田元オーナーは「優勝して経験も豊か。底上げの基盤を作るために取った」と当時を振り返る。

 石井も球団の期待に応えた。移籍1年目に4番の栗原がスランプに陥った。連日、試合前に特打を続ける主砲にアドバイスを与えた。「調子が悪いときに打つのは良いけど、走ってみれば」。誰よりも早く球場に来て走り込む習慣こそが、24年の現役生活の支えだった。

 石井は「広島に来て変わった」という。野手だけでなく、投手も、ときには外国人選手も自宅に招き、日付が替わるまで野球談議を交わした。「勝つことでみんなが幸せになるんだということを伝えたかった」。フォア・ザ・チームの重要性を説き続けた。

 石井

 このカープで優勝できなかったことが、心残りです。この悔しさとカープ優勝の思いは、ここにいる後輩に託したいと思います。

 石井が残したDNAは、間違いなく若鯉に引き継がれていく。【鎌田真一郎】

 ◆石井琢朗(いしい・たくろう)1970年(昭45)8月25日、栃木県佐野市生まれ。足利工から88年ドラフト外で大洋(現DeNA)入団。89年10月10日ヤクルト戦(神宮)に初先発し、投手として1勝したが、91年秋に野手転向。本名の忠徳から改名した。98年には横浜の38年ぶり日本一に貢献。最多安打2回、盗塁王4回。174センチ、78キロ。右投げ左打ち。01年にフジテレビアナウンサーだった詩織夫人と結婚。家族は夫人と2女。