野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は11日、元広島大野豊氏(57)を競技者表彰のプレーヤー部門に選出したと発表した。ドラフト外入団では初めてとなる。

 苦労人の大野氏が、ついに殿堂入りを果たした。ドラフト制後、テスト入団では初めて。社会人時代は軟式野球部に所属しており、まさにゼロからのスタートだった。広島ひと筋の実働22年で100勝100セーブを達成し、3度の日本一に貢献した。新たな勲章を手にした大野氏は、万感の思いを語り、同じ境遇の後輩にエールを送った。

 大野氏

 こういう球歴を持つ男が殿堂入りしたということは、今はテスト生はないけど、例えば育成の選手とかの励みになればと思う。軟式だからといってやれないこともない。良い意味で刺激になる存在になればいいです。

 巨人江川、阪神掛布らスーパースターと同じ昭和30年生まれ。同年代のライバルと数々の名勝負を繰り広げたが、反骨心で“出世頭”となった。

 「初登板が原点です」。すべては、77年の9月4日から始まった。プロ1年目での初登板。広島市民球場には、地元の島根からバスで大応援団が駆けつけていた。だが、阪神打線につかまり奪ったアウトは1つのみ。満塁本塁打を浴びた後、連続四球を与えるなど、1/3回を5失点で降板した。1年目の登板はこの1試合に終わり、防御率は135・00。プロの厳しさを思い知らされ、涙を流しながら寮まで歩いて帰ったという。

 傷ついた左腕を立ち直らせたのは、母富士子さん(88)の言葉だった。「1回の失敗で、あきらめたらいけない」。母子家庭で育った大野の心の中には、常に母がいた。

 昨年は北別府学投手、故津田恒実投手が殿堂入りしており、2年連続で同じ球団でプレーした選手が選出されるのは史上初。大野氏は、伝統を引き継いだ後輩が仲間入りすることを願っていた。【鎌田真一郎】

 ◆大野豊(おおの・ゆたか)1955年(昭30)8月30日、島根県生まれ。出雲商から軟式の出雲信用組合を経て、76年ドラフト外で広島入団。リリーフで活躍し、84年から先発転向。88年に最優秀防御率と沢村賞。再びリリーフに戻った91年に最優秀救援投手。42歳の97年には2度目の防御率のタイトルを獲得した。98年に42歳7カ月の史上最年長開幕投手。同年引退。史上6人の「100勝、100セーブ」を記録。99年と10~12年に広島コーチ。04年アテネ五輪、08年北京五輪では日本代表の投手コーチを務めた。177センチ、78キロ、左投げ左打ち。