<巨人4-1日本ハム>◇5日◇東京ドーム

 劇的すぎる一打だった。巨人小笠原道大内野手(39)が延長11回無死二、三塁から代打で登場。真っ向勝負を挑んできた増井の149キロを右翼席上段に運ぶサヨナラ3ランを放った。ケガ、そして不調に苦しんだ「侍」のド派手な復活弾。チームは連勝で貯金10とした。

 喜びを内に秘めてダイヤモンドを1周する、いつもの侍の所作ではなかった。一振りに本塁打の感触が残る。小笠原は一塁側ベンチへ右拳を突き出した。表情は崩れなかったが、三塁ベースを回った時に破顔した。本塁で待つ仲間の顔が見えたから。「みんなが喜んでくれていた」。笑顔を咲かせ、両腕を突き上げて歓喜の渦にのみ込まれた。

 通算2000安打を達成した男は無の境地にいた。延長11回無死二、三塁で代打で登場。満塁策でもおかしくない場面も、勝負を挑まれた。だが小笠原は静かだった。「何も考えなかった。真っ白。自然と集中できた」。8球目。増井の高めの149キロを振り抜いた。2年ぶりの本塁打は3年ぶりのサヨナラ弾。お立ち台での興奮は隠せない。「思い出しました!」。この絶景を、この歓声を、待ち望んでいた。

 困難な日々を歩んだ。11年に統一球が導入されると、成績が急降下。知らず知らずのうちに肉体の衰えも忍び寄ってきた。昨季開幕前にポツリとつぶやいた。「いつもの太ももの太さに戻らない。あと1センチ、足りないんだよ」。原因不明の片頭痛が起こり、禁酒する時期もあった。昨季は97年以来の本塁打ゼロに終わり、年俸も4億3000万円から7000万円(推定)に大減俸。サインしたのは「ファンの声援があったから」。現役続行への原動力だった。

 今季は打撃フォームを抜本的に変えた。キャンプインでその姿を見た岡崎2軍監督を驚かせた。「チェックポイントが3つも変わっていた。打点のポイントが前になり、テークバックをゆっくり取って、体重移動を利用して打つ。この年になって、これだけ変えるのは勇気のいること」(同監督)。プロ初の2軍スタートとなったキャンプでは折れたバットで左手人さし指を裂傷。15針を縫うケガで大きく出遅れ、開幕1軍を逃した。それさえも「ケガは目の前で起きたことがあって今がある」と悲観しなかった。

 劇的すぎる一打にも小笠原には必然だった。「つらかったと思うことは、ないに等しかった。いつか必ずチャンスが来ると思って、1日1日を大事に過ごしてきた。やってきたことは間違いじゃなかった」。そしてお立ち台で強調した。「たった1本打っただけ。また明日から頑張ります」。この1本は復活への序章にすぎない。そう男は、大観衆の前で高らかに宣言した。【広重竜太郎】

 ▼巨人小笠原の本塁打は11年8月19日ヤクルト戦以来2年ぶり。サヨナラ本塁打は日本ハム時代の05年8月7日西武戦、巨人移籍後の10年9月10日広島戦に次ぎ3本目。98年7月7日近鉄戦で盛田から放って以来、自身15年ぶり2本目の代打本塁打が貴重な1発となった。巨人打者の代打サヨナラ弾は昨年10月7日DeNA戦の矢野以来13人目(14本目)。交流戦の代打サヨナラ弾は11年6月19日オリックス戦の小池(中日)に次ぎ2本目。